【馬渕磨理子氏コラム】
中小企業の賃上げをいかに実現するか 連載第23回
目次
岸田首相不出馬の背景
9月に自民党総裁選が行なわれますが、8月14日、岸田文雄首相が不出馬を表明したことによって、新内閣が誕生することが確実になりました。一部からは驚きをもって報じられたニュースですが、支持率が低迷しており、自民党内で、このままでは「次の選挙」が勝てないという空気が漂っていたことは間違いないでしょう。
他方で、岸田政権の経済政策については、さまざまな評価が語られ続けてきました。円相場に目を向けると7月まで「超円安」と呼ばれる状況でしたが、その後、8月には1ドル=140円台にまで円高が進行すると、今度は日経平均株価が過去最大の下げを演じるなど乱高下しました。このような株式市場と為替市場が大きく混乱したことが、岸田首相の総裁選不出馬を決断させる背景のひとつになったであろうことは想像に難くありません。
岸田政権にとっては、実質賃金がプラスにならないという状況が続いたことが、大きな痛手になったでしょう。今年の前半には立憲民主党が地方選挙などで躍進しましたが、それは一般大衆の声を味方につけた側面がありました。たしかに、大企業はある程度は賃上げに成功していますが、日本企業の大多数を占める中小企業は、はたしてどうなのか。このあたりの問題について、岸田政権に対しては厳しい目が向けられ続けてきたように思えます。
中小企業に対するサポートのあり方
では、中小企業が実質賃金をアップさせるためには、はたして何が突破口になりうるのでしょうか。まず行政の取り組みの例を紹介すると、もっとも理想的なのは自社の製品やサービスを値上げすることであり、下請け企業であればビジネスパートナーとのあいだで値段の交渉ができるか否かがカギでしょう。後者については、下請け企業が不利益を被らないように国もテコ入れしているところです。
また、中小企業に対する国のサポートについても、さらなる充実が期待されるところです。たとえば、中小企業でも売上が立っていて、法人税もしっかりと払える黒字の企業で、ある程度の数の従業員を抱えているのであれば、支援するにはよい対象です。あえていうならば、赤字続きの企業をテコ入れすることも大切でしょうが、堅調な中小企業を浮揚させることが、日本経済にとっては必要だからです。
たとえば、売上300億円の企業を支援すれば、数年後には400億円や500億円にまでスケールできる可能性があります。そこに多くの人が就職するサイクルが生まれれば、賃金が上がる可能性が出てくるでしょう。その流れをつくりやすい企業に対して、支援を集中させることが効果的なはずだし、今後いろいろな策が練られて然るべきだと思います。
要するに、「中小企業」という言葉で一括りにするのではなく、解像度を上げて、さらに成長できる芽がある優良な企業をセレクトして、適切に支援していく。それが結果として賃上げへの流れを生む要素になるのです。中小企業というとステレオタイプに町工場などを連想する方が多いかもしれませんが、替えのきかない製品やサービスをつくっていて、大企業とも対等に交渉するような企業もあるわけです。
最後に求められるのは企業努力
行政の支援の具体例を紹介すると、たとえば群馬県の高崎市は、賃上げに踏み切った企業に対しては最大で150万円の補助金を投入しています。素晴らしい取り組みだと思いますし、このように国や自治体がより効果的な支援を行なうことは非常に重要です。
他方で、賃上げについて身も蓋もない話をすると、あとはその企業自身がみずからの力で頑張るほかありません。先日、鳥取県に足を運んだのですが、同県は実質賃金の上昇率はワースト2位ですが、そのなかでも賃上げに成功している企業は実際に存在しているわけで、その意味では、やはり最後に求められるのは企業努力なのです。
ある不動産会社の例を紹介すると、従業員は25人なのですが、いくつかのチームに分かれて、50万円の利益を出せるプロジェクトをひとつずつ探していきます。その結果、1年間に計20のプロジェクトが走れば利益は1,000万円になるわけですが、重要なのは、それを内部留保せずに賃上げに回すと会社が従業員に約束していること。その結果、2年続けて目標が達成されて、賃上げが実現したといいます。
おそらく、最初から「1,000万円の利益をめざそう」と呼びかけていれば、目標達成は難しかったかもしれません。そこで、あえて「チームごとに50万円のプロジェクトを行なう」と目線を落としたことが、成功の要因ではなかったでしょうか。それは、従業員にとっても自主性を発揮しやすい環境のように思えます。もちろん、号令をかけるのは経営者ではあるのですが、社員が一丸となって皆で稼ごうという発想です。
小さな規模感の話の大切さ
なお、その不動産の会社はユニークな工夫をしていて、たとえば営業の担当者はマンションの内見に付き合えば3、4時間は拘束されて、その時間は営業活動ができません。そこで、内見の付き添いについては、地域のタクシー会社と連携して、その運転手に任せる仕組みを考案しました。もちろん、タクシー会社側にも利益が入りますし、営業担当者はその時間、新規の顧客開発に向けてリソースを割くことができます。
結局のところ、企業が結果を残すための基本的な条件は、知恵と工夫とやる気なのでしょう。それはおそらく、コンサルタントが提案するスキームやマーケティングの手法などのレベルの話ではありません。現場でしか生まれないアイディアにこそヒントがあるのです。とくに中小企業の場合は、あえて小さな規模感で事業を考えて、それをいかに積み重ねるかという発想が効果的ではないでしょうか。
じつのところ、このように地道な工夫で賃上げに成功している企業は少なくないのですが、私が思うのは、メディアではそうした話は少なく、つねに難しいスキームや大きな経済などの議論に終始しているということ。もちろん、それも大事であることは間違いありませんが、小さな規模感の話を共有したほうが、自分事として捉えて日々の仕事に活かそうと思う人は少なくないはずです。
いずれにしても、中小企業の賃上げが実行されていけば、個人消費のマインドも明確に変わりますから、国家単位で取り組まなければいけない重要な課題です。そのためには、はたしてどのような対策や戦略が求められるのか。あらためて、皆で議論しなければいけないテーマであることは間違いありません。
《馬渕氏の連載コラム》
第1回 東京の価値はコロナ後にどうなる?
第2回 企業の「多様性」と「持続性」を考える
第3回 三拍子が揃っている日本市場の強さ
第4回 企業は「現状維持=衰退」の覚悟をもて
第5回 インフレ時代、投資家が評価する企業とは
第6回 「金融リテラシー」をどう高めるべきか
第7回 「歴史的円安」という言葉に踊らされないように
第8回 リスクを可視化できる企業が2023年を生き残る
第9回 日銀の金融政策決定会合が意味するもの
第10回 リクルート競争にどう打ち勝つか
第11回 黒字転換する企業は何が違うのか
第12回 上場後に伸び続ける企業、失速する企業
第13回 中小企業経営者が知るべき米国の動き
第14回 なぜ日本の商社に学ぶべきなのか
第15回 日本が自覚できていない「強み」とは
第16回 2024年問題のインパクトに備えよ
第17回 「稼ぐインフラ」が求められる時代
第18回 「中東紛争&台湾有事」と「インバウンド」のゆくえ
第19回 加速していくGXと生き残る企業
第20回 2024年も価値が上がる東京
第21回 2024年の資産運用のキーワードは「王道」
第22回 歴史的円安が招く時期尚早の利上げ
お話いただいた方
馬渕磨理子(まぶち・まりこ)
◎経済アナリスト/日本金融経済研究所代表理事/ハリウッド大学院大学客員准教授◎
PROFILE 京都大学公共政策大学院修士課程修了。トレーダーとして法人の資産運用を担う。その後、金融メディアのアナリスト、FUNDINNOで日本初のECFアナリストとして政策提言に関わる。イー・ギャランティ社外取締役。フジテレビ、日経CNBC、プレジデント、ダイヤモンド、Forbes JAPAN、SPA!などで活動。主な書籍に『5万円からでも始められる! 黒字転換2倍株で勝つ投資術』 『株・投資ギガトレンド10』『収入10倍アップ 高速勉強法』『収入10倍アップ超速仕事術』など。