地方ゼネコンの常識を破り合従連衡で日本の頂点を目指す【株式会社田名部組 代表取締役CEO 田名部智之氏】
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1924(大正13)年、青森県八戸市で創業した総合建設会社の田名部組。100年の歴史の中で一時は存続の危機に立たされながらもV字回復を果たし、完成工事高では青森県1位を誇ります。積極的なM&Aで各地の建設会社をグループに迎え入れ、「日本一の地方ゼネコン」を目指す代表取締役CEOの田名部智之氏に、再建の歩みと独自の成長戦略をお聞きしました。
経営危機の中で託された「好きにやれ、言い訳するな」
1924年、祖父・田名部政次郎が大工として独立したのが田名部組の始まりです。その年に八戸は未曾有の大火に見舞われ、中心市街地の8割が焼失しました。復興のために奔走する祖父の背中が、当社の企業理念「人と地域社会のために」の原点となっています。
二代目の伯父・田名部匡省は元国会議員で、農林水産大臣を務めた人物です。長男である伯父が国政に進んだ後、次男の父が会社を引き継ぎます。土木工事に事業領域を拡大して経営基盤を整え、公共事業の追い風も受けて完成工事高は青森県内1位にまで成長しました。
ところが、急成長した組織にはひずみが蓄積していました。社員教育も会議もなく、社長の一言ですべてが動く。組織図はあっても役職は名ばかりで、責任と権限は社長一人に集中していました。そこに公共事業の削減と過当競争の波が押し寄せ、売り上げはピーク時の73億円から15億円まで急落します。資金繰りも苦しくなり、伯父も交えた話し合いで父が「もう会社を閉めよう」とこぼすところまで追い込まれました。
「おまえはどうしたい?」──そのとき、伯父が私の顔を見て問いかけました。私自身、まだやれることはあると感じていたので「会社をやらせてほしい」と即答しました。父は息子に何十億円もの借金を背負わせまいと止めましたが、やらずに後悔するほうが嫌だったのです。
「好きなようにやれ。その代わり景気が悪いとか、ライバルがどうだとか、言い訳は一切するな」。伯父はそう告げました。こうして2006年、私は31歳で会社を引き継ぐことになりました。
とはいえ、周りの社員はほぼ全員が年上。しかも父と違って私には土木や建築の技術もない。「大親分が退いてバカ息子が継いだ。うちの会社も終わりだな」。そんな空気が社内に漂う中での船出でした。
「建設業はサービス業」あいさつから始めた組織改革
「建設業はサービス業である」。改革の第一歩として社員に伝えたのはこの言葉です。当時の田名部組は職人気質の強い社員が多く、技術はあっても礼儀やマナーといった教育がまったくなされていませんでした。お客様へのあいさつはしない、電話口で待たせるのは当たり前。現場の清掃すら行き届いていない。だから、幼稚園で教わるような「おはようございます」のあいさつと身だしなみの徹底から始めたのです。「俺たちをバカにしているのか」とベテランの社員からは猛反発を受けましたが、「私もやるからお願いします」と自ら現場を回り、誰よりも大きな声であいさつを続けました。
銀行に事業計画書を提出した際に「経営再建に向け何をするのか」と聞かれ、「まずはあいさつから始めました」と答えたら、書類を1ページも開かずに投げ返されたこともあります。それでも自らの信念を曲げることはありませんでした。
下請け業者を「プロジェクトパートナー」と呼び、対等な関係で現場をつくろうと意識も変えていきました。高圧的に接していると、回りまわってずさんな工事や隠し事につながります。長く商売を続けるには、目先の利益より信頼を先に差し出す姿勢が不可欠だと考えました。ほかにもあいまいだった組織図を明確にし、役職に責任と権限を持たせ、決算情報も全社員に開示し……、ミラクルは一切なく、一般的な会社なら当たり前のことに、創業から80数年目にして、一つひとつ着手していきました。
この当たり前のことが、思いのほか早く結果に表れ始めました。あいさつが徹底され、現場の整理整頓が行き届き、発注者への対応が丁寧になったことで、工事成績の評価点が上がっていったのです。成績点の向上は入札でのアドバンテージになり、受注が増える。受注が増えれば、半信半疑だった社員も「社長の言うことを信じてみてもいいのかな」と変わっていく。たった1年足らずで、この好循環が回り始めました。こうした地道な積み重ねが実を結び、さらに数多くの改革を経て、2023年には完成工事高で県内1位に返り咲くことができました。
「社長、この20年間楽しかった。潰れそうな会社がここまで大きくなって、社長のやってきたことは間違いじゃなかった」。最後はグループ会社の社長を務めた古参の幹部社員が、退任の際にこう言ってくれました。社員の可能性を信じて教育に注力し続けてきたことが報われた──そう感じられた瞬間でした。
地方ゼネコンの「スクラム」で自分たちが戦える土俵をつくる
ただ、私は「会社を潰さないために」社長になったわけではありません。就任した当初から抱いていたのは「この会社を日本一にしたい」との思いです。
とはいえ、当社のような地方ゼネコンがスーパーゼネコンと同じやり方で拡大しようとするのは現実的ではありません。一方で地方ゼネコンには、大手にはない独自の強みがあります。行政や住民との深いつながりを持ち、その土地で築いてきた信頼と実績、ブランドがある。この地域に根差した「土着力」を、全国各地の地方ゼネコンがそれぞれのエリアで有しています。
そこで私が考えたのが、各地の地方ゼネコンをグループに迎え入れる「合従連衡」の戦略です。例えば2020年に経営統合した中亀建設は岩手・盛岡において100年続く企業で、田名部組では取れない盛岡の工事を受注できます。人が足りないときはお互いに融通し合えるのも、経営統合の大きなメリットです。大手が支店網を築いて行っていることを、それぞれに法人格を持つ地方ゼネコン同士がスクラムを組み、実現するのです。
さらに土木建築工事に必須の専門工事業者をグループに組み込むことで、全国どこでも自前で施工できる体制を整えています。2021年に、型枠工事に強みを持つ新潟の竹田工務店をグループ化したのはその一例です。スーパーゼネコンとは「相撲とレスリング」のように競技そのものが違う。この土俵の上でなら、日本一になれると確信しています。
今日では八戸の本社だけでなく、東京、仙台、札幌へと拠点を広げ、東京ではRC造マンション施工で高い評価をいただくなど“外貨”を稼ぐ仕組みも確立しました。そこで得た原資を、グループ会社や協力会社社員を対象として、地域経済発展に向けて共に研鑽し合う人材育成事業「田名部塾」や、さらには地域のインフラ維持、街の再開発事業へと還元しています。
田名部組のグループ全体での売上高は約180億円。「東北ナンバーワン」はすでに射程距離に入っています。「強い選手が弱い選手をかばい、フォローする。どんな組織もこのスポーツチームの連携と同じだ」。札幌五輪でアイスホッケー男子日本代表の監督も務めた伯父は、生前この言葉を遺しました。地方ゼネコンの強みを結集し、お互いをかばい合うチーム力で、「日本一の地方ゼネコン」に向けた歩みを進めていきます。
[編集]株式会社ボルテックス コーポレートコミュニケーション部
[制作協力]株式会社東洋経済新報社
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