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大学キャンパスの「都心回帰」が東京の国際化を進展させる

目次

 近年、大学キャンパスの“都心回帰”が相次いでいます。2023年4月には、中央大学法学部が多摩から新設される茗荷谷キャンパスに移転。約5800人の学生が都心で学ぶこととなります。ほかにも、25年には東京理科大学が薬学部を千葉県・野田キャンパスから都内の葛飾キャンパスへ移転予定。このような大学の都心回帰にはどのような背景があり、今後、どういった影響が出てくるのでしょうか? 高等教育機関の経営層向け専門誌「カレッジマネジメント」の編集長で、大学をめぐる動向に詳しいリクルート進学総研所長・小林浩氏に伺いました。

大学が「都心→郊外→都心」と移転してきた社会的背景

 大学の都心回帰が近年盛んな背景には、まず「工場等制限法」という法律が大きくかかわっています。この法律は戦後、高度経済成長によって急速に工場などの大規模な建造物が林立していく中で、過度な人口の集中を防ぐため、「首都圏の既成市街地において、大規模な工場、大学など人口増大をもたらす原因となる施設の新設を制限する」と1959年に制定、施行されました。

 もともと大学は、人が集まりやすく研究を行いやすい都心にキャンパスがありました。東京大学や早稲田大学、慶應義塾大学などメインキャンパスを都内の一等地に構えている大学の多くが、長い歴史を持っていることからもわかります。ところが、工場等制限法の施行以来、1500㎡以上の床面積を持つ大学の教室も制限に該当するため、既存のキャンパスを拡張できなくなってしまったのです。その一方で、ベビーブームによる若年層の拡大や大学進学率の上昇を背景に、学生は増えていきます。そこで、都心のキャンパスだけでは対応が難しくなった大学は、78年に中央大学が法学部を対象に多摩キャンパスを、82年に青山学院大学が1、2年次を対象に厚木キャンパスを新設するなど、工場等制限法に抵触しない郊外に新しいキャンパスをつくり、移転を始めます。

 この「都心→郊外」の流れにターニングポイントが訪れたのが、2002年です。小泉内閣の下で工場等制限法が撤廃となり、大学は都心にキャンパスを新設・拡張することが可能となりました。05年に東洋大学が文系学部を白山キャンパスに集約したのを皮切りに、13年には青山学院大学が相模原キャンパスの文系学部を青山キャンパスに集約。16年には、東京理科大学が経営学部を埼玉県久喜市から神楽坂キャンパスに移転させるなど、都心への回帰が相次ぎます。

 この頃には、若年層が増加していた高度経済成長期とは打って変わって、少子化により学生集めが容易ではなくなってきました。それにつれ、学生や保護者にとって魅力ある大学をアピールするブランド戦略の一環として、利便性の高い都心にキャンパスを集約する大学側の意向も強まっています。こうした場合、単に移転というより再配置というのがふさわしいかもしれません。

大学キャンパスが街に与える影響の広がり

 では、大学キャンパスが都心に回帰することで、どのような影響が生じると考えられるのでしょうか。まずひとつに、「人」が集まり、コミュニティに活性化や新陳代謝がもたらされることです。学生の生活圏は大学だけではありません。周囲のコミュニティにも深く根ざすものです。都心ではありませんが、例えば、北海道・網走市は、東京農業大学のオホーツクキャンパスが新設されたことで、農大生によって大きく生まれ変わりました。都内では、豊島区西巣鴨にある大正大学のキャンパスは、学生たちが地元商店街と密接に関わり、「商店街もキャンパス」との学び方を推し進めています。

 近年、大学をはじめとした教育現場では、自発的な探究型学習を意味する「アクティブ・ラーニング」が重視されており、科学・技術・ものづくり・リベラルアーツ・数学の5つの単語を統合した「STEAM教育」も注目されるなど、社会にコミットしたアクティブな学びの大切さが説かれています。大学はもはや旧態依然とした“象牙の塔”ではなく、社会に開かれた学びの場となろうとしています。そうした大学の教育・研究の成果を、より社会に還元していくため、「産学官」に研究支援や起業支援の役割を果たす「金融」を加えた、「産学官金」の連携を目指す潮流も盛んになっています。

 大学に人が集まり、社会にコミットすることで、街や経済が変化していく――こうした事例として象徴的なのは、アメリカ・ペンシルベニア州のピッツバーグです。もともと鉄鋼の街として知られたピッツバーグは、医療系の研究で有名なピッツバーグ大学を中心として、今や医療産業の集積地として大変貌を遂げました。日本でも、広島大学の「ゲノム編集イノベーションセンター」が東広島市に新設されると、理化学研究所と共同研究を行い、周囲にゲノム関連の企業が集まるようになりました。 

 産学官金の連携が進めば、今後、大学が街や経済に与える影響はますます大きくなっていくことでしょう。その意味で、大学キャンパスの都心回帰は、東京のさらなる先進化の推進力となりえるはずです。

多様な人が大学に集い、東京のグローバル化が進展する

 社会に開かれた学びの場としての大学――この点で、見逃せないのは、社会人学生や大学教職員も都心に回帰してくることです。今や大学は若者だけでなく、多くの社会人が学ぶ場でもあります。教員も研究職出身者のみならず、行政や企業で活躍してきた「実務家教員」の登用が増えています。中央大学が08年に後楽園キャンパスにビジネススクールを開設し、さらにそれを23年4月に駿河台キャンパスに移転するといった動きは、社会人や最先端の知見と実務経験を持つ教員など、学習意欲あふれる多くの人材が都心に集うことをも意味するでしょう。当然、そうした人材を活用したイベントやセミナー、企業活動も活発になります。

 そして最後に強調したいのが、大学は国際的に開かれた場でもあるという点です。東京は各国からの留学生受け入れに適した都市であり、各大学も環境整備を進めてきました。一例として早稲田大学は14年に、約800人もの日本人学生と留学生が混住する国際学生寮「WISH」を中野区に開設しました。こうした場で国際色豊かな留学生と接し、自国を離れて学ぶ彼らの学習意欲の高さを感じながら学ぶことは、グローバル人材の育成が求められる昨今、学生自身にとっても社会全体にとっても大きな財産となります。

 今後、東京が国際都市として世界で存在感を増していくには、多国籍の優秀な若者たちが活躍できる場として国際競争力を高めていくことが必須です。都心回帰と同時に、大学が国際色豊かなキャンパスへと進化すれば、東京のポテンシャルはますます開花していくことでしょう。

お話しいただいた方

小林浩様
こばやし・ひろし
リクルート進学総研所長・「カレッジマネジメント」編集長

PROFILE
1964年生まれ。株式会社リクルート入社後、グループ統括業務を担当、「ケイコとマナブ」企画業務を経て、大学・専門学校の学生募集広報などを担当。経済同友会に出向し、教育政策提言の策定にかかわる。その後、経営企画室、会長秘書、特別顧問政策秘書などを経て2007年より現職。
文部科学省中央教育審議会大学分科会教学マネジメント特別委員会、同大学分科会質保証システム部会などの委員を務める。

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