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顧客や従業員、そして地域社会を守るために
危機管理能力を高め、災害に強い職場をつくる

目次

地震や豪雨などの自然災害が多発する近年、企業における危機管理の重要性がますます高まっています。南海トラフ地震などの発生も警戒される中で企業はどのように備え、対応していくべきなのでしょうか。これまで50年以上にわたり、国内外の災害や事故、事件に関する現地調査を行っている防災・危機管理アドバイザーの山村武彦所長に、BCP(事業継続計画)を中心とした企業の実践的な防災対策について伺いました。

お話を聞いた方

山村 武彦氏やまむら たけひこ

防災システム研究所 所長

東京都出身。1964年新潟地震での災害ボランティア活動を契機に防災・危機管理のシンクタンク「防災システム研究所」を設立。以来、国内外で発生する災害の現地調査を行っている。報道番組への出演や執筆活動、講演などを通じて防災意識の啓発に取り組む。また、多くの企業や自治体の社外顧問やアドバイザーを歴任し、BCPや防災マニュアルの作成・監修も担う。著書に『災害に強いまちづくりは互近助の力 ~隣人と仲良くする勇気~』、『南三陸町 屋上の円陣 ─防災対策庁舎からの無言の教訓─』(共にぎょうせい)など多数。

事業継続計画の策定がリスクをチャンスに変える

2024年1月1日に発生した能登半島地震において、私が被災地に入ったのは5日後のこと。そのときに最も驚いたのが初動の遅れです。これまで多くの災害現場を調査していますが、5日目ともなると大抵は「道路啓開」が行われています。道路啓開とは、最低限の瓦礫を撤去して緊急車両が通行する救援ルートを開けること。東日本大震災のときは津波で海岸沿いの道路が壊滅的な被害を受けましたが、内陸部の道路を啓開する「くしの歯作戦」によって5日目にはほぼすべての地域への通行が可能となりました。しかし、能登は啓開が進んでいなかった。

当然、震災は地域の自然的・社会的条件などによって被害状況が異なるため一概に比較はできません。ただ、能登は災害時の道路啓開計画が策定されていなかった。それが初動に影響したことは明らかであり、災害を想定した危機管理体制の重要性がわかります。

企業も同じです。会社を経営する以上、大小さまざまな危機に直面します。「危機」の危は危険(リスク)で、機は機会(チャンス)です。つまり、危機とはリスクとチャンスが表裏一体だということであり、リスクをチャンスに変えるには経営者や責任者がどのように管理するかにかかっている。職人の世界には「段取り八分、仕事二分」という言葉があります。「事前の準備や段取りがしっかりできていれば、仕事の8割は終わったようなもの」という意味ですが、これは防災においてもいえること。だから、災害時に中核事業の継続あるいは早期に復旧するためのBCPが必要なのです。

正常性バイアスにとらわれず最悪の事態を想定して備える

BCPは1995年1月の阪神・淡路大震災の発生を機に必要性が重要視されました。国は策定を推進し、今では多くの企業が取り組んでいます。ただ、中小企業庁などのガイドラインをそのまま倣ったBCPを作っている企業が少なくなく、それだけでは機能しない可能性が高い。

そのことは東日本大震災が示しています。当時、大企業の約65%、中小・中堅企業でも20~30%がBCPを策定していましたが、被災した企業の多くはBCPが機能しなかったといいます。なぜなら、電気や水道、通信といったライフラインの長期断絶、および社員が被災して出社できないことを想定していなかった。つまり、危機的状況が起きても「自分や自社は大丈夫だろう」と思ってしまう正常性バイアスに基づいたBCPだったのです。

BCPは、自社の規模や業態と地域の自然的・社会的条件を踏まえたうえで、最悪の事態を想定して策定することが重要です。また、行動マニュアルはA4サイズ3枚程度に収めることもポイント。東日本大震災では「分厚いマニュアルを読む余裕などなかった」という声も多かった。すべてを網羅しておきたい気持ちはわかりますが、費用対効果の面から見ても合理的ではありません。最悪のケースに備えておけば小規模の災害は対応できるもの。だから、すぐ実践できるよう初動対応、二次災害などの中間対応、受援計画といった本当に必要なことを簡潔にまとめておくのが大切です。

例えば、東北三県に数十カ所の拠点を持つ従業員250人超の燃料卸売会社から「BCPを作りたい」と相談されたとき、私は3つの基本方針を提案しました。1つ目は「社員、家族、お客様が死なないようにする」ことで、安全配慮義務のもとで建物の耐震補強や非常用電源設備の設置を行い、災害時行動マニュアルを作って訓練をしました。次に「広域連携ができるようにする」ために、仕入れ先や同業者と「災害時相互協力協定」を結んだ。そして3つ目が重要で、「必要なキーマンと迅速に連携が取れるようにする」仕組みを設けた。社内に4班各4人、計16人の「緊急連絡隊」を作り、顧客や仕入れ先、社内と、グループごとにメールアドレスをまとめて、いつでも緊急メールを送信できるよう整えたのです。

東日本大震災が発生したのはその翌年のこと。通信は概ね災害発生30分後くらいからつながりにくくなるため、緊急連絡隊は15分後には事前に用意しておいたメールを一斉送信。その結果、仕入れ先や同業者からは協力の連絡が、顧客からは応急復旧の依頼が続々と届き、効率よく対応できたといいます。中には「すぐに連絡をくれて心強かった」と涙を流した顧客もいたそうで、多くの信頼を得たこの会社は1年で売り上げが倍増。震災の影響で倒産する企業も多い中、しっかりとした危機管理がリスクをチャンスに変えたといえます。

地域と連携した被災者支援や治安維持は企業の務め

企業には事業を継続する責任があります。もし、被災して業務が停止してしまったら、取引先などにも影響を及ぼし、連鎖倒産を引き起こすことにもなりかねません。だからBCPをはじめとする防災対策が重要なのですが、中小企業に向けては事業継続力強化計画認定制度の活用を勧めています。事業継続力強化計画は一般的なBCPの簡易版とされるもので、BCPより作成が簡単なうえ、経済産業大臣の認定を受ければ税制措置や金融支援が受けられるというメリットもあるからです。

輪島市河井町・通称朝市通り地区/この火災で約200 棟焼失
提供:防災システム研究所 写真:山村武彦

事業継続においては「受援計画」も欠かせません。これは、被災時に関連企業や協定事業者等からの支援を受け入れる体制を計画するもの。能登のある製造業の工場は、工場長が独自に受援計画を策定し、BCPに盛り込んでいました。そして、近くの廃工場を借りて水や食料、布団などを備蓄し、非常用の井戸も造っていた。能登半島地震では宿泊施設や公共施設が被災し、応急作業員を受け入れる場所がなかったことも復旧が遅れた理由といわれていますが、この工場は受け入れ態勢が整っていたため、すぐに業務を復旧・再開できたそうです。

受援計画を作る際は想定受支援者と協定を結んでおく。そのうえで年に1回でも顔合わせをするなど、平時から顔の見える関係をつくっておくことが災害時の連携をスムーズにするためのポイントです。これはサプライチェーンの途絶防止においても同様のことがいえます。

こうして策定したBCPや行動マニュアルは、ちゃんと機能するかストレステストを定期的に行うことも必要です。それも、正常性バイアスがかからないよう第三者の目線で、毎回条件を変えて実施する。能登半島地震が元日という組織的に手薄なときに起こったように、災害は時と場所を選ばないからです。

災害時は企業の社会的責任も問われます。東日本大震災のときに危険だからと客を外に追い出し、扉を閉めた企業は批判を浴びました。一方、東京の六本木ヒルズは5,000人の帰宅困難者を受け入れる態勢を整えており、当時も備蓄食料や水を配布しています。また、東京駅周辺の企業は防災隣組を作り、有事の帰宅困難者対策や情報提供などに取り組んでいます。

たとえ自社やそのグループによるサプライチェーンだけが早期に復旧しても、社会インフラが断絶していたら業務再開はできません。だから、その間は地域と連携して被災者支援や治安維持に努めることが社会貢献であり、事業の継続にもつながる。地域社会の安全を確保するためにも、企業にはBCPのみならず、CCP(地域コミュニティ継続計画)も盛り込んだ防災対策が望まれます。

[編集]株式会社ボルテックス コーポレートコミュニケーション部
[制作協力]株式会社東洋経済新報社

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