TOKYO街COLORS VORTのある街-浅草編-
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東京最古の寺院と伝わる浅草寺(せんそうじ)を中心とした浅草エリア。江戸の頃より庶民の娯楽でにぎわう地域として栄え、明治以降は近代文化の発展を牽引しました。今も至る所に往時の風情を残す下町には国内外から多くの観光客が来訪し、活気に満ちています。
浅草寺の門前町として発展した芸能と娯楽文化の拠点
東京都心3区の千代田区と中央区に隣接する台東区。その東部に位置する浅草は、多くの“日本初”や“日本一”を冠してきた町です。浅草の歴史は飛鳥時代、「浅草寺」の創建とともに始まります。寺の縁起によると、628(推古天皇36)年に隅田川で発見された聖観世音菩薩像を祀るためのお堂を建立。以来、霊験あらたかな寺院として信仰を集め、中世以降は時の権力者の庇護を受け寺領を広げました。後に隣接地に「浅草神社」ができたほか、周囲は門前町として栄え、江戸時代中期には浅草寺の山門「雷門」から延びる表参道に「仲見世」が誕生。現在も日本最古級の商店街として、約90店の民芸品店や菓子店が参拝客や観光客を楽しませています。浅草のシンボルともされる雷門は江戸末期に焼失後、1960(昭和35)年に現在のパナソニックの創業者である松下幸之助が寄進したものです。
江戸の文化が今も息づいているのが花街です。浅草寺の北側には、芸者・幇間(ほうかん)が在籍する「浅草見番(けんばん)」を中心に料亭が点在。また、気軽に花街文化に触れてほしいと、観光案内施設「浅草文化観光センター」ではお座敷おどりが定期的に開催されています。浅草は、夏の隅田川花火大会、秋の「浅草鷲(おおとり)神社」の酉(とり)の市など、往時の庶民の風俗を感じられる行事も多く、特に5月に開催される三社祭(浅草神社例大祭)は例年約180万人もの人でにぎわいます。
歌舞伎の芝居小屋も並び立ち、江戸の娯楽の中心地だった浅草は、明治に入ると次々と新しいものがつくられます。「浅草花やしき」もその1つ。江戸末期に花園として開園しましたが、次第に遊戯施設が置かれるようになり、今では日本で一番古い遊園地として知られるように。また、1890(明治23)年には洋風の展望塔「凌雲閣(りょううんかく)」が完成。高さ約52メートル(12階建て)という当時日本一の高さを誇った建造物で、日本初の電動エレベーターが導入されました。残念ながら関東大震災で崩壊し、解体されてしまいましたが、塔の南側では「浅草六区」が繁栄。明治維新後、浅草寺の境内が浅草公園として6つに区分けされ(後に七区が追加)、六区に見世物小屋が集約されたことから多くの人でにぎわい、「日本一の繁華街」と称されました。
浅草六区は1960年代を境に劇場や興行場が減少しますが、多くの役者や芸人を輩出した「浅草フランス座演芸場東洋館」、落語の定席である「浅草演芸ホール」は今も健在。周囲には商業施設やレトロな飲食店が点在し、観光客にも人気の一角となっています。
近代化を象徴する東洋初の地下鉄が開業
浅草エリアには東京メトロ銀座線、都営地下鉄浅草線、東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)、つくばエクスプレスの4路線が乗り入れています。中でも1927(昭和2)年に浅草~上野間が開業した現在の銀座線は、当時「東洋唯一の地下鉄道」とうたわれ日本の近代化の象徴となりました。その後、銀座、渋谷へと延伸。都営浅草線は京浜急行電鉄、京成電鉄との相互運転により羽田空港、成田空港へのアクセスも至便です。また、1955(昭和30)年に開業した駅直結の「浅草地下街」は、現存する日本最古の地下商店街として知られています。
一方、1931(昭和6)年開業の東武鉄道の駅には東京初のターミナルデパートとして「松屋浅草」がオープン。2012(平成24)年には創業時のネオルネサンス様式の外観が再現されて話題になりました。屋上の「浅草ハレテラス」は東京スカイツリーのビュースポットとなっています。
日本の大衆文化を牽引してきた浅草は、“日本初グルメ”が楽しめる町でもあります。筆頭は1880(明治13)年に創業した日本初のバー「神谷バー」でしょう。多くの文豪が愛した店で、名物の「電気ブラン」は太宰治や井伏鱒二の小説にも登場します。また、1902(明治35)年創業の「舟和(ふなわ)」が芋ようかんを、1924(大正13)年創業の「金太楼鮨すし」が戦後にネギトロを考案したほか、もんじゃ焼き、しょうゆラーメンの発祥地ともいわれています。また、「ぱいち」や「ヨシカミ」など戦前から戦後間もない頃にかけて開業した洋食店も点在。近年は、観光客増加の影響もあってさまざまな飲食店がオープンしており、新たな名店探しも散策の醍醐味です。
食後の腹ごなしは東京メトロ田原町駅周辺の寺町を抜けて「かっぱ橋道具街」へ。大正初期に道具商や古物商が店を出したのが始まりという調理器具や食器の道具街で、約170の店舗が軒を連ねています。料理人や飲食店経営者も通う、見るだけでも楽しい日本一の道具街です。
文化を継承しながら町の整備に取り組む
古き良き日本の風情が薫る浅草ですが、インバウンドを含む観光客の増加による混雑や建物の老朽化といった問題も生じています。そこで台東区は「(仮称)浅草地区まちづくりビジョン」策定への取り組みを開始。歩行者空間や地下街の整備、水上バスをはじめとする隅田川の水運活用などが検討されています。また、東京スカイツリー駅周辺では東武鉄道が2030年代の完成を目途に再開発。浅草エリアとの回遊性を高める仕掛けづくりも構想に盛り込まれています。
レガシーの継承も忘れていません。浅草六区では観光庁の支援のもと「浅草凌雲閣(浅草十二階)の復元による浅草六区地区の観光拠点化に向けて」が進められています。凌雲閣の復元と、それに付随する複合施設を建設する町の歴史を生かしたプロジェクトです。また、2024(令和6)年には「国際通り」に点在していた4つの商店街が統合し、全長約3キロの「東京国際通り振興会」が発足。「日本一長い商店街」としてさらなる活性化を目指しています。官民一体となって文化を守り続ける浅草の熱気を、VORTから体感してみませんか。






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