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“無添加石けん”にこだわり父の思いを受け継ぐ
【シャボン玉石けん株式会社 代表取締役社長 森田 隼人氏】

目次

1910年に福岡県北九州市で創業したシャボン玉石けん株式会社は、1974年に日本の石けん・洗剤業界でいち早く「無添加石けん」を製造・販売したパイオニア。合成洗剤が主流の時代に売り上げ99%減という危機的状況に陥るも、無添加石けんへの信念をぶれずに貫き、人にも環境にもやさしいものづくりを続けています。無添加石けんを世に送り出した先代を父に持つ代表取締役社長の森田隼人氏が、事業とともに受け継ぎ、守り続ける思いとは。

お話を聞いた方

森田 隼人氏もりた はやと

シャボン玉石けん株式会社 代表取締役社長

1976年福岡県北九州市生まれ。2000年に専修大学経営学部を卒業後、シャボン玉石けん株式会社入社。関東エリアの卸業者、百貨店、スーパー、ドラッグストアチェーンなどへの営業に従事。石けん系消火剤の研究開発にも携わる。2002年に取締役副社長に就任、2007年より現職。産学連携の研究機関として2009年に「感染症対策研究センター」、2011年に「石けんリサーチセンター」を設立。また、無添加石けんや環境問題を啓発する講演活動も行う。(https://www.shabon.com/

体に悪いとわかったものを売るわけにはいかない

健康な体ときれいな水を守る──。この企業理念のもと、1974年に無添加石けんを発売して50年以上経ちました。社名でもある「シャボン玉石けん」の名は、私の父で先代社長の森田光德が「人々の健康と住みよい地球環境のために飛ばした夢が空高く舞い上がるように」との思いを込めて名付けたものです。

実は、石けんや洗剤、洗顔料の「添加物」の表示は、生活者にとってわかりにくくなっています。しかし、当社では「石けん成分のみ(液体のものは石けん成分と水)」の石けんを「無添加」と定めています。市場には4~5時間で作られる石けんもある中、昔ながらの製法で1週間かけて無添加石けんを作っています。

なぜ、そこまでこだわるのか。理由は当社が歩んできた歴史にあります。当社は1910(明治43)年に、私の祖父・森田範次郎が石炭景気に沸く福岡・若松(現北九州市若松区)に雑貨商を開いたのが始まりです。初めは日用品全般を扱っていましたが、炭鉱労働者が石けんを買い求めたため、石けんに特化するようになりました。

しかし、高度経済成長期に入って洗濯機が普及し始めると合成洗剤の需要が拡大。そこで、跡を継いでいた父が合成洗剤の製造・販売を始めたところ、売り上げが急増し、従業員100人規模の会社に成長しました。ただ、この頃から父は謎の湿疹に悩まされるようになります。

転機は1971年、国鉄(現JR)から「無添加石けんを作ってほしい」という依頼を受けたことです。合成洗剤で機関車を洗うと車体がさびやすいというのです。父は試行錯誤の末、当時の日本工業規格(JIS)の基準を上回る高純度の無添加粉石けんを開発。そして、効果を試そうと自ら使ってみると、驚くことにずっと苦しんでいた湿疹が1週間ほどでよくなりました。湿疹の原因は自社で販売する合成洗剤だったのです。さらに調べていくと環境にも悪影響を及ぼすことが判明しました。

「体に悪いとわかったものを売るわけにはいかない」そう決意した父は、1974年に合成洗剤を一切やめ、無添加石けんのみの製造・販売に切り替えたのです。

17年連続赤字にも耐えた安全安心への信念

父の熱意が込められた無添加石けんは……残念ながらまったく売れませんでした。合成洗剤より割高で見た目も素朴な石けんなぞ時代遅れだと、世間に受け入れてもらえなかったのです。月に8,000万円ほどあった売り上げは、無添加に切り替えた途端78万円に減少。前月比99%減という愕然とする数字です。

しかし、父は諦めませんでした。販売前に行ったサンプリングで、「子どものオムツかぶれがなくなった」「肌の調子がよくなった」という喜びの声をたくさんいただき、無添加石けんの必要性を確信していたのです。従業員の反発は強く、100人いた従業員は5人にまで減ってしまいましたが、それならばと企業理念を共有できる新卒採用を開始。また、CM・広告の展開や講演活動で周知に努めました。その効果で売り上げは少しずつ上がっていたものの、赤字は17年にわたって続きました。

事態が好転したのは1991年のこと。いよいよ後がなくなった父が、無添加石けんのよさや自身の思いをまとめて出版社に持ち込んだ本『自然流「せっけん」読本』が異例のベストセラーとなったのです。折しも湾岸戦争が勃発した年で、海への原油流出や油田火災による環境汚染が話題になっていたことも大きかった。当社に石けんを買いたいという注文が殺到し、無添加石けんに切り替えて18年目となる1992年にようやく黒字化を達成したのです。

当時、私はまだ学生でしたから17年にわたる苦労を直には見ていません。しかし、家にあった父の原稿を何気なく読むうちに事業を理解するようになり、思いを継いでいきたいと入社を決意しました。

社員の責任を明確にして仕事を自分ごと化する

私は30歳のときに代表取締役社長に就任しています。しかも、赤字の時代にほとんどの社員が辞めているため、無添加石けん開発時のことを知る人間はいません。だからこそ、「健康な体ときれいな水を守る。」という企業理念が支えになりました。そして、「当社の姿勢を支持してくださるお客様を裏切るようなものづくりをしてはいけない」と誓ったのです。

ただ、30歳の若者が無添加石けんのパイオニア的存在だった父と同じことはできません。だから、私は社員と一緒によい会社にしていこうと、組織を再編してリーダー職や肩書を増やしました。私自身は父の「役職が人を育てる」という考え方のもと、入社翌年に取締役、2年目に副社長に就任しています。普段はいち社員として業務に従事していましたが、役職があることで会社全体を見る目を養えたと実感。その経験から、社員も立場を明確にすることで仕事に責任と誇りを持ってほしかったのです。2022年に若手、中堅が中心となって行動指針をつくるプロジェクトを実施したのも同様で、父を知らない若い世代に理念について深く考えてもらうことが狙いです。そのプロジェクトは現在、「虹色行動指針」という7つの行動指針に落とし込まれています。そうやって仕事を自分ごと化したことで自律した社員が増えました。

現在、100種類近くの商品がありますが、すべて企業理念に沿ったものです。2007年には北九州市の消防局や大学との産官学連携で、世界初となる石けん系消火剤を開発しました。消防士が使う消火剤の多くに肌の炎症や環境汚染につながる化学物質が含まれていることから研究を始めたもので、世界各地で問題となっている森林火災に対して事業化していきたいです。

また、2009年には本社内に産学連携の「感染症対策研究センター」を立ち上げ、ウイルス・菌の研究を始めました。医療機関から無添加石けんの除菌効果についての問い合わせを受けたことがきっかけでしたが、コロナ禍ではいち早く無添加石けんの有効性を確認できたことで需要が急増。今年2月期の決算では初めて売り上げ100億円台に達しています。とはいえ、首都圏などはまだまだ普及の余地がありますし、海外にも安全安心を求める声があるので、今は販路拡大に力を入れています。

3月には当社初の天然由来成分のみの日焼け止めを開発・発売しました。売れ行きは好調で、お客様の健康と環境に対する意識の高まりを実感しています。無添加石けんを作るには高い技術が必要ですが、まねができないわけではなく、世の中にはたくさんの商品があります。ただ、50年以上にわたってまじめに無添加石けんと向き合ってきた実績と信頼は、誰もまねができない当社の強み。これからも企業理念を根幹として無添加石けんのよさを伝えながら、時代に合った商品を展開していく。そして、より多くの方々に「安全安心ならシャボン玉石けん」と思い浮かべていただけるような会社にしていきたいですね。

[編集]株式会社ボルテックス コーポレートコミュニケーション部
[制作協力]株式会社東洋経済新報社

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