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-特別編 軽井沢-

目次
普段は東京のさまざまな街の魅力をお届けするこのコーナー、今回は東京を飛び出して、誰もが知る観光地、軽井沢をご紹介します。外国人や著名人の避暑地として発展し、現在は国内外から年間800 万を超える人々が訪れる人気スポットとなっています。
さびれた宿場町を外国人が避暑地に再生
長野県の東端、日本百名山の一つ「浅間山」の麓に広がる軽井沢町は、標高900~1,000mの高原にあります。真夏でも1日の平均気温は20℃前後と冷涼な気候で、日本有数の避暑地として親しまれています。
軽井沢が避暑地として有名になったのは明治時代のこと。群馬県との境にある「碓氷峠(うすい)」は古くから交通の要衝で、江戸時代には五街道の一つ「中山道(なかせんどう)」が整備されました。軽井沢エリアには街道に沿って軽井沢宿、沓掛(くつかけ)宿、追分宿という3つの宿場町が置かれ、旅人の往来でにぎわったといわれます。しかし明治に入って鉄道が開通し、宿場制度が廃止されると軽井沢宿は衰微。そこに訪れたのが、カナダ生まれの宣教師アレキサンダー・クロフト・ショーでした。
美しい風景に澄みわたる空気。「屋根のない病院」とたたえるほど軽井沢に魅了されたショーは、1888(明治21)年に自身の別荘を建てました。これが軽井沢初の別荘であり、ショーの紹介によってほかの在日外国人も次々と別荘を建て始めます。折しも軽井沢宿があった場所に軽井沢駅ができたこともあって、駅北側を中心に町は急速に発展。大正期には華族や政財界人といった日本の要人の別荘や西洋式ホテルも立ち並ぶリゾートとして知られるようになりました。
この一帯は現在「旧軽井沢」と呼ばれており、今も随所に往時の名残をとどめています。ショーの別荘も、彼が創設した教会「軽井沢ショー記念礼拝堂」の敷地内に移築・復元、「ショーハウス記念館」として公開されています。また、国の重要文化財に指定されている西洋式の「旧三笠ホテル」は、1906(明治39)年に開業し現在は営業を終えているものの、「軽井沢の鹿鳴館」とうたわれた優美なたたずまいを見ることができます(改修のため2025年秋頃まで休館)。
軽井沢初の西洋式ホテルとして名高いのが「万平ホテル」です。江戸時代から続く旅籠(はたご)を改装して1894(明治27)年に開業して以降、作家の堀辰雄や三島由紀夫ら多くの著名人が訪れています。特にミュージシャンのジョン・レノンが愛したことは有名で、彼が弾いたピアノが今も残されています。
自然に囲まれた環境下で多彩なスポーツ文化が醸成
自然豊かな軽井沢に集う外国人によって、さまざまなスポーツ文化がもたらされました。まず1894(明治27)年にテニスコートが誕生。その歴史を受け継ぐ「軽井沢会テニスコート」は、1957(昭和32)年に現在の上皇ご夫妻が出会われた場として知られます。
大正期に入ると外国人と日本人の間でゴルフ場を造ろうという声が高まります。そこで1922(大正11)年に全9ホールの「軽井沢ゴルフ倶楽部」が完成。その後会員の増加に伴い、昭和初期に軽井沢駅南側に改めて18ホールの「軽井沢ゴルフ倶楽部」が設けられました。元の軽井沢ゴルフ倶楽部は戦後「旧軽井沢ゴルフクラブ」に改組され、両施設とも現存し名門として高い格式を誇っています。このほか、近くには乗馬やサイクリングなどの施設も多く、エコツーリズムが楽しめる町としても人気です。
一方、沓掛宿があった「中軽井沢」エリアの開発は、上流階級の避暑地だった軽井沢の門戸を広げました。1918(大正7)年に現在の西武グループの前身にあたる箱根土地によって造成された「千ヶ滝別荘地」がその先駆けで、当時としては斬新な区画分譲を採用して別荘文化を身近なものにしました。また、1915(大正4)年に開湯した「星野温泉」は、国内外に宿泊施設を有する星野リゾートの創業地。北原白秋や与謝野晶子ら文人墨客を癒したという温泉は、立ち寄り湯「星野温泉 トンボの湯」でも楽しむことができます。
次世代リゾートを目指した再開発に期待が集まる
戦後、国際親善文化観光都市に指定された軽井沢は、冬の観光客誘致にも力を入れ始め、町内にはスケートリンクが設置されました。「軽井沢野鳥の森」に隣接する「ケラ池スケートリンク」もその一つです。また、旧軽井沢の商店街「旧軽井沢銀座通り」とその周辺にはベーカリー「ブランジェ浅野屋(軽井沢旧道本店)」やコーヒーショップ「ミカド珈琲(コーヒー)(軽井沢旧道店、東京から出店)」、ジャムを販売する「沢屋(旧軽井沢店)」などが出店。今では軽井沢を代表する店として親しまれています。
1990年代に入ると上信越自動車道の開通や北陸新幹線の開業に伴い、軽井沢駅南側に「軽井沢・プリンスショッピングプラザ」がオープン。約26万㎡の敷地に約240店舗が軒を連ねるショッピングモールで、近くに「軽井沢プリンスホテルスキー場」もあることからたくさんの観光客が訪れています。一方で、作家・水上勉の別荘を改築したフランス料理店「エルミタージュ・ドゥ・タムラ」やフランス自然料理の店「シェ草間」など、軽井沢ならではの木立にたたずむ一軒家レストランを目当てに通う人も多いようです。
国内有数のリゾートとして成熟した軽井沢ですが、新たな開発計画も進んでいます。軽井沢駅の北口では、使われなくなった旧信越本線の線路跡地を活用した「(仮称)軽井沢駅北口東側遊休地活用事業計画」が進行中。温浴施設や宿泊施設、飲食店等からなる商業施設で、2026年春の開業を予定しています。一方、千ヶ滝別荘地の中心地では「軽井沢千ヶ滝地区プロジェクト」が発足。次世代のリゾートを見据えた大規模な再開発に期待が集まります。
そして、こうした進化を続ける軽井沢に2024年、ボルテックスの「SerenCollective(セレンコレクティブ)」が誕生しました。1棟を複数人で共有するタイムシェア型の別荘として展開しています。第一線で活躍する建築家が設計した大自然と調和するラグジュアリーな空間には、ここでしか味わえない上質な時間が流れています。






[編集]株式会社ボルテックス コーポレートコミュニケーション部
[制作協力]株式会社東洋経済新報社
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