TOKYO街COLORS VORTのある街-八重洲編-
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全国各地を結ぶ新幹線の発着駅であり、複数の在来線や地下鉄も乗り入れる巨大ターミナル・東京駅。その東側に広がる八重洲エリアは大規模な再開発により最先端の街へと生まれ変わりつつあります。日本だけでなく世界中からも多くの人が集う東京の玄関口は、つねに活気にあふれています。
東京駅の“裏口”からビジネス街へと発展
「東京駅」に向かって延びる「八重洲通り」の一角、日本橋三丁目交差点に記念碑があることをご存じでしょうか?この「ヤン・ヨーステン記念碑」は、1989(平成元)年に日蘭修好380周年を記念して設置されたもの。1600(慶長5)年に日本に漂着したオランダの貿易家ヤン・ヨーステンは、外交顧問として徳川家康に厚遇され、現在の東京駅の西側、丸の内にあたる江戸城の内うち濠ぼり沿いの土地を拝領して屋敷を構えました。その一帯がヤン・ヨーステンの日本名「耶や揚よう子す」にちなんで「八重洲」と呼ばれるようになったのが歴史の始まりです。
ただ、内濠沿いの八重洲は1914(大正3)年の東京駅開業後しばらくしてから地名がいったん消滅し、駅の東側にあった外そと濠ぼりに架かる八重洲橋にのみ、その名が残りました。1929(昭和4)年に設けられた東京駅の東口は橋にちなんで「八重洲口」と名付けられましたが、赤レンガの駅舎がある丸の内口に対して“裏口”扱いされる小さな出入り口だったようです。戦後外濠が埋め立てられ橋も撤去されたものの、八重洲口周辺の町名変更に伴い「八重洲」の地名が復活。こうして以前とは逆に、駅の東側を八重洲と呼ぶことが定着していったのです。
八重洲一帯は戦時中の空襲で大きな被害を受けましたが、1954(昭和29)年に東京駅に直結する「鉄道会館ビル」が竣工。館内に大丸百貨店が入りにぎわうようになります。さらに、1965(昭和40)年に開業した八重洲地下街は増設を繰り返し、日本有数の地下商店街へと発展。一方の地上では高度経済成長期によるビルの建設ラッシュが起こって、八重洲はビジネス街へと変貌しました。
発展の端緒となった鉄道会館は2000年代に始まった再開発によって役目を終えましたが、跡地を含む一帯には地上200mを超える2つの高層ビル(ノースタワー・サウスタワー)と両ビルをつなぐ商業施設「グランルーフ」からなる「グラントウキョウ」がオープン。そのうちノースタワーに移転し再開業した「大丸東京店」は八重洲に店を構えて今年で70年を迎えます。また、飲食店や雑貨店など約180の店舗が集積する八重洲地下街は2022年「ヤエチカ」に改称。ビジネスパーソンや観光客など1日約15万人が来訪するショッピングゾーンとなっています。
オフィスビルの狭間に古きよき時代の名残
ビジネス街となった八重洲ですが、江戸の頃はその周辺の日本橋、京橋にかけて桶町や元大工町、南鍛冶町といった地名が並ぶ職人の街でした。また、京橋の名は東海道の起点・日本橋から京へ上る最初の橋があったことに由来。江戸の玄関口としての活気を今に伝えるのが老舗の存在です。
近江(現在の滋賀県)で創業した寝具専門店「日本橋西川」は1615(元和元)年に日本橋に出店。現在は商業施設「COREDO日本橋」で暖のれん簾を掲げています。また、1689(元禄2)年創業の漆器専門店「黒江屋」や、1818(文政元)年創業の和菓子店「榮太樓總本鋪」なども点在します。そして「髙島屋日本橋店」も、日本橋を代表する老舗の一つです。1831(天保2)年に京都で創業し、明治期に東京に出店。1933(昭和8)年に新築開店し現存する建物は、国の重要文化財にもなっています。
一方、東京メトロ銀座線京橋駅の真上に立つのは2016年に完成した「京橋エドグラン」。1933年築の重厚な「明治屋京橋ビル」と地上32階建ての高層ビルからなる複合施設で、新旧の建物の共演が目を引きます。ほかにも「東京スクエアガーデン」など2010年代に再開発で建設された複合ビルが点在するのが京橋の特徴で、2019年竣工の「ミュージアムタワー京橋」には「アーティゾン美術館」が入居。この周辺は骨董通りを中心に150超のギャラリーや古美術店が軒を連ねるアートゾーンとしても有名で、銀座にも近く街歩きが楽しい界隈です。
国家プロジェクトの再開発がエリア全体で進行中
古くより首都の玄関口としての役割を担ってきた八重洲ですが、いくつもの再開発により街全体が大きな変貌を遂げつつあります。これは、政府が2013年以降に国際競争力の強化や地域活性化を目的とした「国家戦略特区」に認定したことを受けてのもの。その中心となっているのが、八重洲口の向かいに2023年3月全面開業した「東京ミッドタウン八重洲」です。地上45階地下4階建てのタワー棟を中心に、オフィス、商業施設に加えてビジネス交流施設や小学校、子育て支援施設などが入る複合施設は、多様な人々が集う交流の場となっています。
また、ミッドタウン八重洲南隣の「八重洲二丁目中地区」では地上43階、地下3階建ての高層ビルが2028年度竣工の予定で建設中。オフィスや店舗のほか、外国人ワーカー向けの居住空間の整備が進められています。その南側の「八重洲二丁目南特定街区」でも地上39階地下3階建ての高層ビルが建設中で、これらの再開発エリアと東京駅、京橋の各エリアは地上および地下の歩行者通路で結ばれるようになります。
加えて、ミッドタウン八重洲北側の「八重洲一丁目東地区」も注目されています。2025年竣工予定の地上51階地下4階建てと、2026年竣工予定の地上10階地下2階建ての2棟のビルにはオフィスや店舗、劇場などが入ります。さらに、現在ミッドタウン八重洲の地下で営業している「バスターミナル東京八重洲」も拡張されます。八重洲二丁目中地区・八重洲一丁目東地区の地下部分にも設けられ、2028年の完成時には全体で1日1,500便以上が発着可能な国内最大級のバスターミナルとなる予定です。
そして日本橋川沿いの「八重洲一丁目北地区」では、地上45階地下5階建ての高層ビルを中心とした複合施設が2032年までに工事完了予定。隣接エリアでも地上52階建ての高層ビルの建設を中心とした再開発が進行中です。
ヤン・ヨーステンが日蘭の架け橋となったように、東京と世界をつなぐ八重洲の活気にVORTも加わっています。
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