現代のリーダーシップにつながる普遍の原則とは 経営者は歴史から何を学ぶべきか

目次

歴史上の偉人は、どのようにリーダーシップを発揮して組織づくりや人づくりに取り組んできたのか。経営者はそこから何を学び、経営にどう生かせばよいのか──外資系大企業を経て、経営コンサルタントとして独立した後、歴史作家に転じ、歴史と現代のリアルを結びつけた数多くの作品を生み出してきた伊東潤氏に語っていただきました。

お話を聞いた方

伊東 潤氏いとう じゅん

作家

1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。 日本アイ・ビー・エム株式会社を経た後、外資系企業のマネジメ ントを歴任。2003年にコンサルタントに転じて2006年に株式 会社クエーサー・マネジメントを設立。2007年、『武田家滅亡』 (KADOKAWA)でメジャーデビュー。2010年に専業作家となっ て今に至る。第34回吉川英治文学新人賞(2013年)。著書に 『天地雷動』(KADOKAWA)『天下大乱』(朝日新聞出版)『鋼鉄 の城塞』(幻冬舎)など多数。MCを務めるBS11の「偉人・敗北 からの教訓」は110回を超える人気番組に(2025年10月現在)。

歴史上の出来事を自分ごとに変換する

歴史は学びの宝庫です。知識を得るために歴史に触れるだけでも十分に面白いものですが、「なるほど」で終わるのではなく、そこから得た教訓を仕事や経営にどう生かしていくのかが重要です。

かつて私は外資系企業で営業を担当していました。その際、上司に同行を求めるのは、顧客に契約の説得をするときではなく、無事契約が進み、最後に顧客にお礼を伝えるときでした。そのほうが上司の顔も立ち、気分がよいものです。

織田信長の命で備中高松城を攻めていた豊臣秀吉は、自ら敵を追い込んでいながら、最終局面で信長に出陣を求めています。猜疑(さいぎ)心の強い信長に対して、秀吉は功を独り占めするのではなく、肝心なところを信長に譲ることで信用を高めようとしたのです。

これは一例ですが、歴史はどこをとっても人間の営みであり、そこに組織や集団の動きがあります。そのことを理解すれば、歴史上の出来事には経営のヒントが尽きず、目の前の現実に生かせることばかりであることがわかります。

縦割り組織がなぜダメになったのか。それは幕末の歴史を見ればわかります。幕藩体制は縦割りで、横の連携はありませんでした。太平の世が続いていればそれでも問題なかったのですが、外国船が来航し開国を迫られるとそんな組織では対応できません。

例えば、大藩は豊富な資金力を生かして最新鋭の大砲をそろえ、敵の上陸を防ぐことができます。ところが小藩はそういうわけにはいかない。すると外国船はまずは小藩を攻めて上陸し、内陸から大藩に攻め入るという作戦を取ることが可能になります。

これではもはや大藩の持つ大砲が意味を成さないと悟った当時の識者たちは、国内を統一して挙国一致体制で対抗しないとこの国は持たないのだと見抜き、倒幕へと向かいました。それが明治維新につながったのです。

組織は生き物であり、外部環境に合わせてつねに変化していかなければなりません。このような普遍的ともいえる原則を、歴史から学ぶことができます。

現代のリーダーに必要な力とは

リーダーシップのあり方についても、歴史から大きな示唆を得ることができます。

武田信玄は、軍議の席で自らは一切話しませんでした。なぜなら、自分が語るとそれで作戦が決定してしまうからです。そこで重臣たちに侃々諤々(かんかんがくがく)の議論をさせ、出てきたアイデアの中から「これでいく」という最終決断を下したのです。

徳川家康は、自分に対して苦言を呈する人間をあえて近くに置きました。酒井忠次、榊原康政、本多忠勝など、いずれも古くからの家臣で、家康にとって耳の痛い話であっても直言・諫言(かんげん)をためらわない人物です。また、金地院崇伝、天海、林羅山など、僧侶や学者らにも意見を求めました。彼らは決してお世辞を言いません。家康はむしろ、おべっかを使う人間やごまをする人間を嫌い、そういう人物は登用しませんでした。

歴史をひもといてみれば、優れたリーダーは人の話を聞く力を備えていました。中でも家康の傾聴能力は群を抜いていました。その力で天下を取り、260年余も続く組織をつくったといっても過言ではありません。

インターネットやAIが浸透し、誰でもあらゆる情報に接することができる時代です。リテラシーに長けた若い人のほうが知識が豊富であることも少なくありません。これからの時代のリーダーは、相手の話を傾聴し、多くの情報の中から最適解を見つけていくことが大切な資質になってくるでしょう。

歴史に学ぶ後継者育成のポイント

多くの中小企業経営者と同様に、戦国大名も後継者育成や事業承継に頭を悩ませてきました。

武田信玄は、父信虎を追放し、嫡男の義信を廃嫡したうえ、死に追いやりました。上杉謙信は、後継者をはっきり指名しなかったために、その死後、越後を二分する内乱が始まりました。

秀吉は、猜疑心から後継者の秀次を殺さねばなりませんでした。そして、まだ幼い秀頼を支えるために、五大老五奉行制を導入します。しかし、これは政権中枢に外様を入れるという大失態でした。外様が権限を持ったことで、結局豊臣家は滅亡の道を歩むことになったのです。

事業承継の難しさを自覚し、細心の注意を払ったのが小田原北条氏です。北条早雲を祖とし、2代氏綱から相模国小田原城を本拠として権勢を振るいました。彼らの事業承継には、いくつかのポイントがあります。

まず、早雲の考えを「早雲寺殿二十一箇条」として明文化し、領国経営の根幹に据えたことです。今日的に言えば、企業理念を明確にするとともに行動指針として日々の実践に落とし込めるようにした、ということです。

次に、定期的に評定を開くことで重臣間のコミュニケーションを密にしました。現代の企業では「会議のムダ」が指摘されがちですが、私は互いに顔を合わせた正式な会議は、たとえ中身は雑談であっても大事なことだと考えています。

さらに「早くから後継者を決め、帝王学を学ばせたこと」「早めに隠居し、権限移譲を段階的に行ったこと」が挙げられます。帝王学が身についていないと、リーダーが私心を振りかざすことになりかねません。また段階的な権限移譲は、実践的な後継者の育成法です。

そして、「分国法」「小田原衆所領役帳」といった領国内の法や制度を確立したことです。これが意図するところは公平性の重視です。兵役や普請役が石高に応じて決められるなど、誰もが納得する仕組みをつくって明文化したのです。現代でいえば、コンサルタントなど外部リソースを活用して人事評価制度を導入するなどがこれにあたるでしょう。経営者の勘やさじ加減でものごとを決めてしまうと、社員の間に不信感・不平等感が生じます。不平不満の要素を未然に摘み取ることが重要です。

歴史には知恵と教訓が満ちています。経営者の皆さんも歴史の本をひもといてその知恵をぜひ知り、自らの経営や人生に生かしていただきたいと思います。

[編集]株式会社ボルテックス コーポレートコミュニケーション部
[制作協力]株式会社東洋経済新報社

経営術の一覧に戻る
  • 本記事に記載された情報は、掲載日時点のものです。掲載されている情報は、予告なく変更されることがありますので、あらかじめご了承ください。
  • 本記事では、記事のテーマに関する一般的な内容を記載しており、弊社では何ら責任を負うものではありません。資産運用・投資・税制等については、各記事の分野の専門家にお問い合わせください。

関連記事

Recommend