店と従業員を守るために──“日本一有名な八百屋さん”の決断力【株式会社アキダイ 代表取締役 秋葉 弘道氏】

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東京都練馬区の関町本店を中心に、都内9店舗のスーパー「アキダイ」などを展開している株式会社アキダイ。創業者で代表取締役の秋葉弘道氏は年間400本のニュースや情報番組に出演する「日本一有名な八百屋さん」としても知られています。売り上げが好調な中、大手スーパー「ロピア」などを運営するOICグループに株式譲渡によるM&Aを行ったことでも話題の秋葉社長に、経営や人材育成に対する考え方を伺いました。

お話を聞いた方

秋葉 弘道氏あきば ひろみち

株式会社アキダイ 代表取締役

1968年、埼玉県出身。高校1年生の時に八百屋でアルバイトを始める。高校卒業後、電気機器関係の企業に就職するが1年で退職。八百屋勤務を経て1992年に「アキダイ」創業。青果を中心に鮮魚、精肉、一般食品を扱うスーパーとして都内9店舗を展開。また、手造りパン・総菜店や焼鳥店、居酒屋も手掛ける。テレビの情報番組をはじめメディアにも多数登場。著書に『いつか小さくても自分の店を持つことが夢だった スーパーアキダイ式経営術』(扶桑社)がある。

口下手を克服するために八百屋の世界に飛び込む

「できるかできないか」ではなく「やるかやらないか」。これは、僕がよく従業員に語り聞かせている言葉です。僕自身、ずっとこのことを心がけてきました。今でこそさまざまなテレビ番組に出演し、「日本一有名な八百屋さん」などと呼ばれますが、子どもの頃はしゃべることが大の苦手。自分の気持ちをうまく言葉で伝えられないので、人前ではほとんど発言をしませんでした。

転機は中学3年生の体育祭。野球部で張り上げていた声を買われて応援団長に抜擢されたんです。そして、僕の声に仲間が呼応してくれることに大きな喜びを感じました。

みんなの前でしっかり話せる人間になろう。そう決意した僕は、自ら話す機会をつくるために、高校では学級委員や生徒会長を務めました。また、店員がお客さんと親しげに会話するのを見て八百屋でアルバイトを始めたんですが、これがとても面白い。お客さんとのコミュニケーション次第で売れ行きが変わるんです。先輩たちを見て学び、自分なりに工夫すると売り上げが伸びる。1日で130箱の桃を完売させたこともありました。

高校卒業後は進学も考えましたが、裕福な家ではなかったから親の負担になりたくないと大手電気メーカーに就職。しかし、八百屋の面白さが忘れられず、1年で退職してかつてのバイト先の八百屋の社員になりました。それからは休み時間を削って市場を見て回り、市場で働く人たちと会話を重ねて、目利き力を鍛えていった。その努力が実って19歳でチーフに昇格。市場の人たちからは「10年に一人の逸材」と言われるまでになりました。

22歳で退社し、独立して東京の練馬区関町に「アキダイ」をオープンしたのは1992年、23歳の時です。自分にはできないから無理だと諦めてしまうのではなく、どうすればできるようになるかを考える。それが人生の道筋を変える起点になるのではないかと思っています。

壁に直面した時こそ成長のチャンスと捉える

創業から30年余り、現在アキダイは都内に9店舗を有するほか、パン屋や居酒屋も展開しています。正直に言うとビジョンも計画性もなく、「アキダイを大きくしたい」という男のロマンを追いかけた結果です。だから、失敗もたくさんしました。多店舗展開を始めた時は資金繰りに苦しめられた。でも、振り返ると調子がいい時より苦難を乗り越えた時のほうがいい思い出になっているし、会社も社員も成長したように感じています。

いちばん大きな苦難は独立したばかりの頃です。周りから逸材と言われ、それなりに自信を持って店をオープンしたのに、まったくお客さんが来なかったんです。いつも閑古鳥が鳴いているので、店の前を通る路線バスの乗客に「あの店、潰れるんじゃないか」とささやかれているのではと疑心暗鬼に陥り、眠れない日々が続きました。

だから、仕入れも尻込みしていました。八百屋に勤めていた頃は市場で10ケース、20ケースと仕入れていたミニトマトも、その頃は1ケースですら売り切る自信がなかった。だから、なじみの売り子に「ちょっとまけてよ」と言ったところ、彼にこう返されたのです。

「今のアキちゃんにまける理由は何もないんだよ」

衝撃で声も出ませんでした。でも、以前のように売り上げに貢献できないのだから当然のこと。僕は、自分がいかにちっぽけな存在かということに気づかされました。それからはもう必死です。1年間がむしゃらに働いて、それでもだめなら店を畳もうと決心し、お客さんがいなくても店頭で声を出し続けました。店の前を通るバスに向かって「大根1本10円」と書いた紙を掲げてアピールもした。何より大切なのは感謝の心です。アキダイはお客さんに支えられていることを胸に刻み、感謝の言葉を繰り返しました。すると、しだいにお客さんが増えて黒字化し、銀行の融資も下りるようになりました。というのも開業時、僕は銀行から開業資金を借りられなかったのです。その時は理由がわからなかったのですが、銀行の担当者は僕の実力を見極めていたんですね。

壁に直面した時こそ自分が成長するチャンスだと従業員には伝えています。ただ、僕のような無鉄砲にならないように、山登りに例えて話している。「店長になりたい」と志を高く持つことは大切ですが、高い山ほど高度な技術が必要です。だから、エベレストを目標に掲げるなら、まず高尾山で基礎を固め、次は富士山で技術を磨いてと段階を踏んでいく。そして、登頂までのサポートをするのが社長である僕の役目だと思っています。

美味(おい)しい野菜を届けたいその気持ちが目利き力を養う

アキダイでは「美味しくて新鮮なものを安くお客様に提供する」という経営理念の下、接客に力を入れてきました。売り場では1対1の対面販売を重視して丁寧に商品説明を行い、感謝の気持ちはきちんと伝える。活気ある接客はアキダイの大きな強みとなっています。

もう一つの強みが仕入れ力です。アキダイは全店舗分の仕入れを一括で行います。大手スーパーでも店ごと、地域ごとに仕入れるので、仕入れ量は他店を圧倒しています。また、毎日市場に行き、電話でも密にやり取りしているため市場の人たちとの絆が強く、青果の相場や産地の状況にも精通している。目利き力を養う際に大切なのは探究心を持つことです。お客さんに美味しい野菜を届けるためには、受け身でいるのではなく自ら積極的に情報をつかんでいく。テレビ局が取材にくるのも、アキダイがつねに最新の情報を持っているからなんです。

以前は僕がすべて仕入れていましたが、今は少しずつ従業員に教えています。僕がいなくてもアキダイが成り立つ状態にするのが目標です。実は、後継者が不在で10年ほど前から「社長が引退したらアキダイはどうなるのか」という社員の不安の声を聞くようになりました。そこで、50歳を迎えた頃に事業承継を考え始め、2023年に大手スーパー「ロピア」などを運営するOICグループのM&Aを受け入れ、事業承継を決断しました。

経営自体は黒字だから不思議に思うかもしれませんが、青果の流通は仕入れ先やお客さんとの信頼関係が重要であり、外部から来た後継者では成り立ちません。でも、アキダイが好きで入社した従業員が安心して働けるよう屋号と既存店舗を残したい。OICは「従業員を守りたい」という僕の考えに賛同してくれたのです。

M&Aをしてよかったのは、OICグループのスーパーの中にアキダイの店舗を出店したこと。活躍の場が広がったことで従業員のモチベーションが向上しています。僕自身はアキダイの経営権を持ったままOICのアドバイザーに就任し、売り場づくりのアドバイスや生産者の紹介、OICの若手社員の指導などを担っています。

従業員の成長がアキダイの未来をつくるのだから、自分が元気なうちに事業を盤石な状態にしておく。従業員が笑顔で生き生きと働く様子を見ていると、僕の経営者としての決断は間違っていなかったと思えるのです。

[編集]株式会社ボルテックス コーポレートコミュニケーション部
[制作協力]株式会社東洋経済新報社

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