伝統を受け継ぐお酒で世界の人々を感動させたい
【梅乃宿酒造 株式会社 代表取締役CEO 吉田 佳代氏】

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梅乃宿酒造株式会社は、1893年、奈良県新庄町(現葛城市)の初代町長も務めた吉田熊太郎氏により創業されました。清酒「梅乃宿」「天下一」で知られた蔵元ですが、年々、日本酒の消費量が減少する中、梅酒やリキュールの「梅乃宿あらごし」シリーズを開発し、斬新な商品戦略でファンを獲得しています。4代目蔵元の長女に生まれた吉田佳代氏は、同社では初めての女性蔵元として、さまざまな改革に取り組んでいます。吉田CEOに、家業の永続を目指す取り組みを聞きました。
先代が残してくれた改革のための布石
伝統的な杜氏制度を3人の社員リーダーによるチーム制での酒造りに変えたり、酒蔵を移転したり、梅乃宿酒造の5代目を継いだ私がやってきたことは、前例に頼らない改革だとよく言われます。しかし、社内から反発の声はほとんど上がりませんでした。ベテランの従業員の中には、内心、私の経験不足を危ぶんでいたメンバーもいたかもしれませんが、新しい方向性を打ち出すたび、むしろ社内の結束が強まったように感じています。
なぜ、改革に対して社内の理解が得られたのか。理由として思い当たるのは、現在、最高顧問を務める先代の存在です。といっても、私が決めた方針に対して先代は、口を挟まずいっさい干渉しませんでした。
1984年、4代目の蔵元に就任した父の吉田暁は、日本酒の消費量が減り続ける厳しい時代を乗り切るため、試行錯誤を繰り返しました。看板商品であった「梅乃宿」や「天下一」の売り上げが長期にわたって伸び悩む中、2002年には梅酒を発売し、その5年後には現在も私たちの主力商品となっている「梅乃宿あらごし」シリーズを開発して、業績を伸ばしました。また、季節労働者であった蔵人の年間雇用化や日本初のイギリス人蔵人の採用に踏み切るなど、前例にとらわれず、体質の強化に努めました。
伝統的な業界だけに、酒蔵が直接、営業活動を行うことさえ「品がない」と批判された当時、風当たりは強かったはずです。長女の私でさえ、当初は梅酒を造り始めた家業の行く末を心細く感じたほど。しかし、後継者がおらず吉田家に養子として迎えられた先代は、自分の代で潰すことだけは絶対に避けなければならないという一心で、なりふり構わず再建に取り組みました。
「組織を変えることができるのは、よそ者、若者、バカ者といわれるが、俺は梅乃宿にとって、よそ者やったから改革ができたんや」
と、後にそう振り返っていました。
そうした様子を間近で見ていた私は、既存の商品や慣習を維持することだけが伝統を守る道ではない、と強く実感することができました。社内にも、積極的な挑戦を前向きに捉えて、みんなで盛り上げていこうとする意識が広がっていったのではないかと思います。
加えて、創業120周年の節目にあたる2013年、父は私に社長を譲ると、私の経営判断を全面的に尊重し、経営の第一線からきっぱりと身を退いたことを社内外に示してくれました。チーム制での酒造りや酒蔵の移転といった挑戦的な方針を打ち出しても社内に混乱が生じなかったのは、社内に変化を恐れないマインドが醸成されていたからです。受け継いだものの重さは、私が幼い頃から抱き続けてきた家業に対する愛着をますます深めることになりました。
会社が永続することの尊い意義に気づく
路地を挟んで酒蔵と向かい合う実家で生まれ育った私にとって、梅乃宿酒造という会社は家のようなもの。1893年創業は、清酒発祥の地である奈良県では比較的新しいのですが、同居する義理の祖父母が生まれる前から「梅乃宿」を醸造していたと聞かされると、子ども心にも会社や商品が世代を超えて受け継がれることの尊い意義を感じました。さらに、社名の由来となった敷地内の梅の古木は、樹齢が300年を超えるといいます。いつしか、私も将来は祖父母や両親のように、家業に携わりながら暮らしたいと思うようになりました。
とはいえ、私の下には弟もおり、自ら5代目を継ぎたいとは考えていませんでした。大学卒業後、他社で3年間の勤務を経て、家業に入ったものの、自分に経営者の重責が務まるとは思えなかったからです。しかしあるとき、参加したセミナーで「決めない」ことはリーダーの罪である、という言葉を耳にして、私自身のあいまいな態度に気づきました。たとえ女性であっても、経営者の子としてただ一人、家業で働く私は、周囲から見れば間違いなく有力な後継者候補です。ところが、肝心の当人がその立場を自覚していなければ、先代や先輩たちも私とどう接すればよいのか、戸惑うでしょう。
自分の立場に気づいた以上、継ぎたいのか、継ぐ気がないのか、私自身がはっきりしなければ、他責的な思考に陥りかねません。長女だから継がざるを得なかった、という言い訳に逃げ込むつもりはないものの、どれほど考えても、会社や仲間たちの生活と将来を担う自信は持てませんでした。しかし、家業の最も近くで、最も濃密に、最も長く関わることができるのは経営者以外にいないと気づいたとき、私の覚悟は決まりました。
海外に向けて、日本酒仕込みの「ジャパニーズリキュール」を発信
チーム制での酒造りや新蔵への移転のほか、製造工程のデータ管理やインターネット通販の本格導入、人事評価制度の透明化、ジョブローテーションの導入、各種手当の改定など、社長に就任して以来、さまざまな改革に取り組んできました。これらは私一人で取り組んだものではありません。とくにパーパス・ミッション・ビジョンは幹部社員と一緒に3年がかりで言葉を定め、腹落ちする内容に練り上げ、社員の皆も誇りにしています。そして「#ワクワクの蔵」をキーワードに、世界に通じる新しい酒文化を創造することが、今後の目標と考えています。
インバウンド需要の増加や販路の拡大により、近年、売り上げに占める海外比率が3割にまで高まりました。その牽引役となっているのが、現在、売り上げの8割以上を占めるリキュールです。私たちのリキュールはすべて日本酒仕込みであるため、さまざまなフルーツとの組み合わせによって、日本酒の伝統をベースとした新しい酒文化を発信できます。実際、フルーツの果肉を“食べる”感覚が味わえる「大人の果肉の沼」シリーズは、まったく新しい酒文化として好評をいただいています。
新たな挑戦を生み出す拠点として、2022年、葛城山のふもとに竣工した新蔵には、ふさわしい設備が整っています。また、新蔵では酒蔵見学をはじめ、梅酒造りなどの体験型イベントも実施しており、年間約1.2万人のお客様が世界中からいらっしゃいます。
ご承知のように、今や日本のウイスキーはジャパニーズウイスキーとして海外でも存在感を高めています。同様に、いつの日か、私たちの商品が「ジャパニーズリキュール」として世界中の人々を感動させるに違いないと信じています。
[編集]株式会社ボルテックス コーポレートコミュニケーション部
[制作協力]株式会社東洋経済新報社

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