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「地続き」の展開で事業の柱を増やし盤石な100年企業を目指す
【株式会社 電巧社 代表取締役社長 中嶋 乃武也 氏】

目次

東京・港区に本社を構える株式会社電巧社は、1928年に電気工事会社として創業。その後、電気を軸に事業を多角化し、現在は「電気のコンシェルジュ®」と称して、電気設備や産業用電機品の販売および受変電設備の製造等を行っています。バブル崩壊後に経営危機に陥るも、20年がかりの経営改革で、名前以外はまったく別の会社といわれるまでに生まれ変わらせたのは3代目代表取締役社長の中嶋乃武也氏。創業100年を目前に混迷の時代を生き抜く知恵を伺いました。

お話を聞いた方

中嶋 乃武也 氏なかじま のぶや

株式会社 電巧社 代表取締役社長

1960年東京都生まれ。1983年に慶應義塾大学工学部を卒業後、伊藤忠商事株式会社を経て1991年に株式会社電巧社に入社。経営改革に取り組んで業績を回復させ、2002年に代表取締役に就任。空調事業の拡大に加え、エレベーター、照明、太陽光発電など事業の多角化を推進。学生の頃からマジックを嗜み、同社ウェブサイトには「マジックコーナー」を掲載。「自分の実力を基に、仕掛けとストーリーを加えて成功に導くマジックの過程は仕事とまったく同じ」なのだという。(https://de-denkosha.co.jp

バブル崩壊後に経営改革を断行し悪しき慣習と決別

「電気の仕事を巧みにこなす会社にしたい」

これは創業者の祖父が社名に込めた思いです。早くに父親を亡くした祖父は、わずか14歳のとき単身で北海道から上京しました。知人のつてを頼って板金屋にでっち奉公したものの、当時急速に普及し始めた電気に将来性を感じて電気工事会社に就職。すぐに頭角を現し、高齢の経営者が引退する際に、借金と社屋を引き継いで電巧社を創業しました。1928(昭和3)年のことです。

創業の頃は時代が大きく揺らぎ、戦時中は戦闘機製造に使う電動ドリルの軍需工場に転身して生き残りました。しかし終戦の物資不足でものづくりを断念、中古モーターを扱う中、ほどなくして東芝モーターを扱うようになり、1961年に東芝代理店となります。

さらに祖父は付加価値の高い製造業に着目していたため、東芝さんの協力の下、当時の最先端であったキュービクル(閉鎖型配電盤)の製造を始めます。こうして商社と工場という2本の柱が当社の基盤となりました。

2代目の父が入社してからは、工場を祖父が、商社を父が担っていましたが、私が高校生のときに祖父が他界し、大学に入ってすぐに父も病に倒れたので、私は卒業後電巧社に入社すべきと考えました。しかし父は私に「来るな」と言うのです。体調のよくない父に代わって役員が指揮を執る中、経営基盤が不安定になり、そんなところに息子を放り込めないという親心からでした。

かくして私は総合商社に就職し、プリンター等のパソコン周辺機器を輸出する部署に配属されました。幸いにも時代の先端でやりがいある仕事に従事し、その経験が今の私のビジネス思考の原点となりました。しかし、祖父が築いて父が守ってきた家業を継ぐのは、やはり自分しかいないと考え、1991年に電巧社に入社しました。

バブル崩壊はその直後で、年間140億円あった売上高は5年で70億円弱まで落ち込み、一気に赤字転落しました。そのうえ社内では次々と問題が発覚。湖の水位が下がると底のヘドロが見えてくるように、業績の悪化でそれまでは隠れていた架空売上や不動在庫等の問題が露呈したのです。景気がよかった時代の緩い体質が生んだ悪しき慣習でした。

このままでは倒産する。強い危機感の中で私は経営改革を断行しました。生き残るためとはいえ、リストラは断腸の思いでしたが、これは外部から来てしがらみがない自分にしかできない役目でした。土地等を売却して赤字を補填する一方、不正が見つかれば先送りせずすぐに処理、「公正でなければ信頼される企業にはなれない」と社員に説き続け、当たり前の正しいことを愚直に行うことで、会社は少しずつ立ち直りました。

自由な発想で仕事を楽しみ全社員が人生の成功者に

社内改革と同時に、モーター等の電機品と受変電設備の2本柱に頼る商社事業を多角化しました。総合商社の経験で、事業には必ず栄枯盛衰があると知っていたので、柱は多いほうが会社を強固に支えると考えたのです。

このときに心掛けたのは「地続き」の事業展開です。知識も経験もない「飛び地」の事業は時間がかかるしリスクも高い。しかし既存事業と地続きなら、ある程度は知見があります。現在手がける空調機器や太陽光発電、照明、昇降機、省エネ等は、どれも地続きのビル用電気設備として始めた事業です。柱を増やし、お客様に頼られる「電気のコンシェルジュ®」を目指しています。

2002年に社長に就任し、以来、刷新した経営理念の浸透に力を入れています。その1つが「全社員が人生の成功者になる」ことです。自分たち社員が幸せでなければ、お客様を幸せにはできないという考えからです。

とくに仕事に向き合うスタンスとして、社員には「シゴトをアソベ!」と伝えています。というのも私は総合商社時代に「●●マーケット攻略ゲーム」と称して、仕事にゲーム感覚を取り入れていました。ふざけているのではなく、自由な発想で楽しむ遊びの感覚を仕事に生かせば高いパフォーマンスを発揮できるからです。今も定期的に経営理念について話しますが、改革前は言われたことしかやらなかった社員が、今では積極的に企画案を出します。少しずつですが、社員自らが動く「自走する組織」に育ってきたと感じています。

3 つの「D&G」を掲げて持続的な成長に邁進する

2028年に創業100周年を迎える電巧社の姿で私たちが目指すのは「進化する老舗」です。そのための経営方針が3つの「D&G」の推進で、当社の戦略の要です。

1つ目のD&Gは「Durability & Growth(安定と成長)」。Durabilityとは英語で「耐久性」、すなわち安定のことです。老舗である電巧社は、幸いにも電機の分野に安定事業を持ち、これが会社を支え続けてきました。

安定事業は湧き出ずる泉のようなものです。この泉の水を、将来の成長エンジンといえる2つ目のD&G、すなわち「Digital & Green」の分野に注ぎ込み、次なる柱を築くという戦略です。ベンチャー的な新規分野ですが、当社にはベンチャーと違い資金力=泉の水があるので、安心してベンチャー精神のみを社内に導入し、老舗にはない活力をつけていく狙いもあります。かくして省エネから始まった電巧社のグリーントランスフォーメーションは、太陽光発電等の創エネや蓄エネを加え、新たな柱となりました。

そして数年前のM&Aでご縁をいただいたSI(システムインテグレーション)事業部は、RPA(ロボットソフト)やAIの活用で社内デジタルトランスフォーメーションの旗頭となる一方、サイバーセキュリティー対策用ソフトの販売に新たな活路を見いだしています。

企業とは安定と成長を繰り返して進化していくものです。基盤事業の安定なしに、持続的成長などありえません。激しく変化する世の中だからこそ、安定に安住することなく、安定事業もさらに磨き上げて成長させる努力が必要でしょう。そのための施策が3つ目のD&G、「Devise & Gear shift(工夫と加速化)」です。Digitalの力を借りた省力化や、標準化・量産化等の工夫を重ね、生産性向上を加速します。こうした3つのD&Gを積み重ねながら、電巧社は盤石な100年企業を目指しています。

実は事業の柱を増やすことは、単なる会社の安定化にとどまらず、お客様のニーズを面で受け止めることにも役立ちました。東日本大震災以降、日本は一気に省エネブームとなりましたが、単一商材では満足のいく総合的な省エネ提案になりません。「電気のコンシェルジュ」を標榜するには、照明だけや空調だけでは不十分です。柱を増やしビル用電気設備を総合的に扱うことで、電巧社はお客様に幅広くお役立ちできる立場を手にしました。

元より電巧社は工場や工事部隊を持つ技術志向の会社です。今では商社部門にも技術者が多数在籍し、またいくつもの商材を横断的に担う部隊も活躍中です。彼らが柱と柱をつなぐ壁の役割となっていることに感謝しつつ、100年企業のその先の姿を模索しています。

[編集]株式会社ボルテックス コーポレートコミュニケーション部
[制作協力]株式会社東洋経済新報社

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