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議論を重ね「榮太樓らしさ」を突き詰める

目次

1818年の創業以来「温故知新」を社風に掲げ、時代に合わせて暖簾(のれん)を磨き上げることを堅実に続けてきた榮太樓總本鋪。金鍔(きんつば)や梅ぼ志飴など数々のロングセラーがある一方で、近年は「Ameya Eitaro」「にほんばしえいたろう」「からだにえいたろう」など、個性豊かなブランドも展開しています。200年以上にわたり江戸の街で愛され続けてきた強さはどこにあるのか、同社社長の細田将己氏に伺いました。

お話を聞いた方

細田 将己氏ほそだ まさき

株式会社榮太樓總本鋪 代表取締役社長

1973年東京都生まれ。マサチューセッツ州Bentley University卒業後、三井物産を経て2007年に榮太樓總本鋪に入社。2019年より細田協佑社社長。2023年より12代目榮太樓總本鋪社長。

「ちょうどよい」老舗感の頃合いを探る

創業200周年事業の一環で2020年に日本橋本店をリニューアルし、併設の喫茶室も「Nihonbashi E-Chaya」と名を改め、内装やメニューを一新しました。古くからご愛顧いただいているお客様からは、「変えないでほしかった」「あの雰囲気が好きだったのに」と残念がる声もありましたが、そうしたご批判が出るのも覚悟の上でした。

日本橋という街自体が今、勢いよく新陳代謝しています。この街を訪れる人や働く人の層も世代交代し、その中心となる30~40代の多くは、まだ榮太樓との接点が少ない方々です。私たちは江戸時代からこの地で商売を続ける菓子舗ではありますが、その暖簾の重みによって若い人たちから敷居が高いと敬遠されてしまうのは、望むところではありません。誰にでも気軽に利用してもらえるような「ほどよい老舗感」が、私たちの目指すところです。リニューアルから3年が経ち、最初は否定的だったお客様も、次第に受け入れてくださるようになりました。

私は15年ほど前に榮太樓に入社し、本年4月に社長に就任しました。入社以来、本店のリニューアルをはじめ新商品の開発など新しい挑戦を続けているのは、お客様に私たちのお菓子を手に取ってもらい、おいしいと喜んでいただくことが何より大事だからです。時代とともに人々のライフスタイルが変われば、お菓子の楽しみ方も変わります。ですから私たちは、普段ショッピングモールやスーパー、コンビニなどでお菓子を購入されるお客様にもアクセスできるよう、勇気を持って変化を続けているのです。

一方で、変えてはいけないこともたくさんあります。代表的な商品である金鍔や梅ぼ志飴は、江戸時代からの材料・製法にこだわってつくっています。いいものをつくり続けるにはきちんとした教育も必要ですから、一緒に働く仲間の8割は正社員です。もちろん機械化もしていますが、繊細なお菓子をつくるには熟練した職人の手が欠かせません。最も古株の職人は50年以上のキャリアがあり、今も本店の店頭で金鍔を焼いています。

不動産を「第二の柱」にした祖父の先見の明

何を残して何を変えていくのかという命題が常にあり、先代の社長である私の父や社員たちとその境界線について議論を重ねることは、日常茶飯事です。試作品に「榮太樓のお菓子らしくない」とダメ出しをされたり、新たな販売チャネルに参入することに難色を示されるたびに、何がネックなのか、榮太樓らしさとは何かを突き詰めるのは骨の折れる作業ですが、その過程こそが会社にとって大事なのかもしれません。

おかげで最近では、社内の価値観がずいぶん柔軟になってきたと感じます。たとえば人気アニメとのコラボ商品の展開は、ひと昔前の榮太樓であればやらなかったでしょう。チャレンジングな取り組みでしたが、若い世代にとってはそれが榮太樓との初めての出合いかもしれないことを考えると、次世代へのアプローチとして大きな意義があったと思っています。

おそらくこのような議論は、200余年の歴史の中で幾度となく繰り返されてきたのでしょう。先の戦争では日本橋一帯も焼け野原になり、榮太樓の職人も一時は兵隊に取られ、企業存続の危機に陥りました。もう店を畳もうという声もあったそうですが、当時の社長だった私の祖父はあきらめず、貴重品だった砂糖を工面し、終戦の翌年にはもう営業を再開したのです。

祖父は、「デパ地下」のルーツをつくった一人でもあります。戦後の混乱が残る中、1951年に東横百貨店(のちの東急百貨店東横店)の1階にあった「東横のれん街」が開業しました。その当時、祖父は東急電鉄に協力を仰ぎ、出店者の一人として設立に尽力しました。あそこに行けばワンストップで贈答品を買うことができるとたちまち有名になり、榮太樓は拡大していきました。 そこで祖父はもう一つ、大きな勝負に出ています。高度経済成長期の初頭、1962年に榮太樓ビルを建てたことです。小売業一本では景気のあおりを受けやすいので、波を比較的受けにくい不動産を持つことで収益を安定させたいという考えだったようです。

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若いうちから舌を育てることも大切

長く商売をしている企業が収益の安定を目的に不動産を持つのは、珍しいことではありません。特別なのは祖父が不動産事業を榮太樓に組み込まず、細田協佑社という別会社で保有したことでした。おかげで、助け合うけれど助け合いすぎない、しかしいざというときの安心材料として傍らにあるという関係性が築かれました。

直近の数十年だけでも、バブル崩壊、東日本大震災、リーマンショック、コロナ禍など、多くの危機に日本企業は直面しています。私たちも菓子の榮太樓だけでは、この激しい波を乗り切るのは難しかったかもしれません。現在は、榮太樓を細田協佑社の完全子会社とし、「協榮グループ」としてグループ全体で発展していく体制を敷いています。

和菓子屋というのはもともと、ゴミを出さない商売といわれています。私自身も、社会環境のためにできることをしたいという気持ちを、SDGsなどの活動につなげています。それは社会へのアピールというよりは、むしろ社内へのメッセージです。一緒に働く仲間に、よい会社に勤めているんだ、誇りに思える企業だと思ってもらえること、ひいては社内から自発的なアクションが生まれることを目指してきました。

その思いが社内に浸透して、社員からの提案で生まれたのが、今年4月にリリースしたフードシェアリングサービス「TABETE(タベテ)」です。フードロス削減と販促の両立を図るものですが、同時に食育という狙いもあります。若年層を中心に和菓子離れが進んでいますが、その要因の一つは、本当においしいあんこの味にまだ出合っていないことです。若いうちから榮太樓の味を楽しんでもらうこと、舌を育てていくことも、私たちの役割の一つだと思っています。

[編集]株式会社ボルテックス ブランドマネジメント課
[制作協力]株式会社東洋経済新報社

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