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父が築き上げた「家業」のDNAが快進撃を支える【株式会社エアウィーヴ 代表取締役会長兼社長 高岡 本州氏】

目次

寝具ブランドの「エアウィーヴ」。2007年の登場以来、独自素材による高い復元性と体圧分散機能が支持され、寝具市場にイノベーションをもたらしました。来年の「ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピック」にも選手村に寝具を供給することが決まっています。
成熟市場とされる寝具市場において、なぜ独自のポジションを確立できたのか。株式会社エアウィーヴ代表取締役会長兼社長の高岡本州氏に、そのプロセスと事業承継時の体験についてお話を聞きました。

お話を聞いた方

高岡 本州 氏たかおか もとくに

株式会社エアウィーヴ 代表取締役会長兼社長

1960年名古屋市生まれ。名古屋大学工学部応用物理学科卒、慶應義塾大学大学院経営管理研究科修士課程修了後、父が経営する日本高圧電気に入社。87年米スタンフォード大学大学院修士課程修了。98年日本高圧電気代表取締役社長(現在は取締役)に就任。2004年に伯父から中部化学機械製作所(現エアウィーヴ)の経営を引き継ぐ。2016年に起業家表彰制度「EY アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー 2016 ジャパン」 2016日本代表。2025年からは「EY World EntrepreneurOf The Year 2025」世界大会の審査員に就任。

「釣り糸」の製造技術から誕生したマットレス

エアウィーヴは、釣り糸や漁網などのプラスチック押出成形機械を製造する「中部化学機械製作所」が前身です。2004年、赤字が深刻化した同社の経営を、私は創業者である伯父から引き継ぎました。当時、同社では釣り糸を作る技術を生かして糸状のポリエチレン樹脂を絡めたクッション材を開発し、衝撃吸収材などとして売り込んでいました。しかし、価値を感じてもらえず安く買いたたかれ、赤字は膨らむ一方でした。

この状況を打開する糸口を模索し続ける中で、目を付けたのが「寝具」でした。当時、大手の寝具メーカーが販売していたマットレスはスプリングマットレスが主流。内部のバネが下から体を支える仕組みです。一方、当社のポリエチレン樹脂製のエアファイバー®はあらゆる方向から体を支えるので、体圧が均等に分散されます。「このクッション材でマットレスを作ったらスプリングマットレスに対抗できるのでは?」と考え、寝具市場への参入を決断しました。

マットレスは購入サイクルが約10年と長く、買い替え需要が生じにくい商品です。そこで、買い替えではなく「買い足し」のニーズを喚起しようと考え、2007年にマットレスの上に敷く薄手のマットレスパッドを開発。しかし、最初の4年間はまったく売れませんでした。

転機が訪れたのは2011年。フィギュアスケートの浅田真央選手を起用したテレビCMと、翌年のロンドンオリンピックのための文部科学省のマルチサポート事業に協力し、日本代表選手に寝具を提供したことで「エアウィーヴ」の認知は一気に拡大しました。

加えて、それまで航空会社、ホテル・旅館などでの導入実績を一つずつ積み上げ、ブランドの価値を地道に高めてきたことが奏功しました。工場の生産が追いつかないほどに注文が殺到し、2010年に3.6億円だった売上高(グループ連結)は2012年には54億円、さらに2014年には110億円にまでなりました。


海外進出の大失敗がヒット商品を生んだ

国内の寝具市場で順調に売上を伸ばし、自信を深めた私は、2014年に米国進出の足掛かりを得ようと模索を始め、2015年には米ニューヨークに直営店をオープン。念願の海外市場に打って出ました。ところが、結果は3年での事実上の撤退を余儀なくされ、20億円もの損失を抱えることに。米国人の嗜好や生活習慣に合った商品開発や売り方をせず「国内市場のように地道に実績を積んでいけば成功するだろう」と安易に考えていたのが敗因でした。

もう一つの敗因は、物流面にありました。大きなマットレスは輸送の際に半数以上が破損してしまい、返品される事態となったのです。しかし、この苦い経験から「マットレスを3分割にする」という画期的なアイデアが生まれました。この「3分割マットレス」は当時の業界では非常識とされ、強い非難も受けました。ところが、結果として配送時の負担やコストが大きく下がり、EC時代にマッチした当社の主力商品へと成長したのです。

2025年4月にはロサンゼルスに出店し、海外に再進出しました。きっかけはオリンピック・パラリンピックへの寝具提供でした。2021年の東京大会、2024年のパリ大会では、オフィシャル寝具として選手村に計約34,000床を供給しました。機能面だけでなくリサイクル・リユースを徹底した姿勢がサステナビリティーの観点から海外でも評価されたのです。

東京大会では、各国の代表選手が当社のマットレスを敷いた段ボール製のベッドに乗り、耐久性を証明する動画もSNSなどで話題となりました。

一度は諦めかけていた海外進出。前回の「けがの功名」から生まれた3分割マットレスに加え、前回の反省をふまえて米国市場向けに開発した新商品を用意し、再び世界に挑みます。


事業承継とは「顔を継ぐ」こと

私は1985年、24歳で父が創業した「日本高圧電気」に入社し、1998年に社長に就任しました。同社は高電圧用開閉器やヒューズなどの配電機器を電力会社や鉄道会社などに供給するBtoBメーカーです。

専門学校を出てたたき上げで会社を創業した父と、日本のビジネススクールや米国留学で学んできた私は、経営方針をめぐって対立し、激しい口論を交わすこともしばしば。しかし、ある時点から言い争いをするのは一切やめました。

きっかけは、ビジネススクールで師事した慶應義塾大学の奥村昭博名誉教授をアドバイザーとして招いたことです。奥村先生には第三者の目で経営の助言をいただき、私の悩みも聞いてもらいました。「納得がいかないかもしれないが、これは創業者である親父の性なんだ。一部だけを見て否定してはダメだよ」とアドバイスをいただいたのを覚えています。

また、その当時読んだ本に「相続とは『顔を継ぐ』ことだ」との一節がありました。相続の「相」は「人相」などと言うように「顔」を指します。事業承継も広い意味での相続だと考えると、事業承継もまた「顔を継ぐ」ことなのだ、と思い至りました。

創業以来、各地の電力会社や鉄道会社と地道に信頼関係を築きながら堅実に経営を続けてきた父の顔を潰すようなことはしてはならない。そう自戒したのです。

事業承継には、さまざまな考え方があると思います。親とはまったく異なる経営方針を貫くのも決して間違いとは言いません。ただ、私の場合は家族の絆を犠牲にしてまで事業を続ける選択肢はありませんでした。

伯父から中部化学機械製作所を引き継いだときも、本当は赤字会社を潰して工場を更地にしたかった。でも、病床の伯父から「工場は残してくれ」と懇願され、会社を存続させるのが自らに与えられた宿命なのだと腹をくくりました。「成熟市場でなぜイノベーションを起こせたのですか」とよく聞かれるのですが、伯父が創った会社を存続させることが第一であり、そのために活路を見いだしたのがたまたま寝具だっただけのことです。

事業承継をした経営者の方々も、同様に成熟市場においていかに経営を存続させていくべきか日々悩んでいることと思います。ヒントは、これまで長い歴史を積み重ねてきた家業の中にあると思っています。

寝具とは、人々の日々の睡眠を支える「インフラ」だと私は捉えています。インフラ事業の要諦は、お客様との信頼関係を築き、地道に実績を積み重ねることに尽きます。私はそのことを、電力というインフラを支え続けてきた父から学び、今日のエアウィーヴの経営においても大切にしているのです。

[編集]株式会社ボルテックス コーポレートコミュニケーション部
[制作協力]株式会社東洋経済新報社

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