「社長を辞めた日、私は一人だった」――がん告知から始まった経営者の孤独と再起【元経営者執筆】

目次
2019年3月、健康診断を終えてすっかり日常に戻っていた頃、病院から一本の電話がかかってきました。
「小島さん、内視鏡検査の結果、食道に腫瘍が見つかりました。」
突然のことに、私はただ「はぁ。……わかりました」と返しました。腫瘍と聞いても、すぐに「がん」とは結びつかず、紹介状を受け取りに病院へ向かったことだけは、はっきりと記憶に残っています。
経営者としての孤独は、これまでも感じていました。しかし、この電話をきっかけに向き合うことになったのは、それまでとはまったく「質の異なる孤独」でした。
そこで、本記事では、がんを告げられた日から社長を退任するまでの私自身の体験をもとに、「経営判断」と「人生の選択」の違いに悩んだ時間を振り返りながら、経営者が抱える孤独の正体とその影響、そしてそれを「経営リスク」に変えないための備えについて考えていきます。
経営者の孤独は、ある日突然やってくる
腫瘍が見つかったと知らされた直後、私はまず妻にメールを送りました。
食道に悪性の腫瘍と思われるものがあったとのことでした。
いろいろと迷惑をかけます。
そう書いて、紹介状を受け取りに病院へ向かいました。急な連絡にもかかわらず、妻は「わかりました。大丈夫です」と短く返信をくれました。あのときの落ち着いた対応には、今も感謝しています。
その後、少しずつ家族にも伝えていきました。まずは両親、そして子どもたちへ。両親からは「私より先に死ぬな」と言われ、子どもたちに対しては、「申し訳なさ」と共に、「彼らの結婚式を見るのは、もうできないかもしれない」という思いがよぎりました。
日常の何気ない期待が、静かに崩れていく感覚でした。
告知を受けてから、私は毎週のように大学病院へ。「標準治療」「化学放射線療法」「粘膜下層」「内視鏡的切除」……。今では意味を理解しているこれらの言葉も、当時の私にはまったくの未知の世界です。医師の説明を聞いても、どの情報が重要で、何が判断材料になるのかすら、まったくわかりません。
ネットで調べても、出てくる情報は断片的で、医療記事によって内容も違う。信頼できるかどうかもわからず、かえって混乱するばかりです。告知から数週間後には「検索しても意味がない」と判断し、その後はほとんどネットにアクセスしませんでした。
情報はあるのに、自分にとって何が正しいのかが見えてこない。久しぶりに現れた「決めようのなさ」が、不安と孤独をさらに大きくしていきました。
会社には、すぐに伝えることはしていません。それに、この時点では「会社を辞める」という考えは強く持っていませんでした。
経営者としての孤独は、これまでも感じてきました。最終的な意思決定を一人で担うことは、むしろ当然の責任です。答えが見えない中で悩み、それでも自らの判断で進めていく。そういう時間は何度も経験してきました。
しかし、がんと向き合う中で直面したのは、それとはまったく異なる種類の孤独です。判断すべきことは山ほどあるのに、「何を判断すべきか」がそもそも見えない。その状態で、時間だけが過ぎていく。
「決める前に、まず理解しなければならない。」
この焦燥感のなかで、私は自分の判断力がまったく機能しない領域にいることを痛感しました。それは、経営のように「答えがある孤独」ではなく、「決め方すら見えない孤独」でした。
がんという、突然現れた現実。
私はそこで、これまでとはまったく異なる「経営者の孤独」と、静かに向き合い始めていました。
判断できない自分に気づいたとき、私は退任を決めた
孤独は、ただの感情で終わるものではありません。それは経営者の判断力や意思決定の質に、静かに、しかし確実に影響を及ぼしていきます。
当時の私の病状では、主流の外科手術か、治療実績は少ないながらも効果が期待される化学放射線療法(抗がん剤+放射線)のいずれかを選ぶことができました。
今思えば、私はすでに「手術は避けたい」という気持ちを強く抱いていたように思います。食道をすべて切除し、喉と胃をつなげるという外科手術への抵抗感が先立ち、その気持ちに合致する情報ばかりを無意識に受け入れる――冷静さを欠いた、いわゆる「確証バイアス」という心理状態に、自分が陥っていたのです。
実際、化学放射線療法の開始直前、医師から「まだ手術に切り替えることはできます」と静かに言われたことがありました。「外科手術には、より確かなエビデンスがあります」とも。ただそのときの私は、すでに自分の中で結論を固めており、意志が揺らぐことはありませんでした。
経営においては、こうした偏りを避け、客観的に判断するのが基本です。しかし、病気という未知の事態に直面した私は、その原則を維持することができませんでした。そこには、「最終的な判断は自分がするもの」という思い込みもあったのでしょう。
治療法を決めるためのセカンドオピニオンも、私一人でした。今になって思えば、誰かに同席してもらい、別の視点を借りるだけでも判断は変わったかもしれません。けれども当時の私は、「決めるのは自分」という一種の信念に従い、誰にも頼ろうとしなかったのです。
そして、抗がん剤開始から2日後のある日。
抗がん剤開始から間もない時で、副作用がどう出るかもわからず、自分の身体と向き合うことで精一杯でした。会社のことなど、頭に浮かぶ余裕はまったくなかったのです。
そんな時、点滴に繋がれたままの状態で、会社から日常的な確認の電話がかかってきました。病室の中では対応しきれず、不自由な身体のまま、なんとか廊下に出て応じました。
その瞬間、私ははっきりと感じたのです。
――既に、そしてこれからも経営者として機能しない、と。
治療という現実の中にどっぷりと入り込んでいた私に、会社というもうひとつの現実が突然差し込んできたのですが、そのふたつを同時に背負うのは、もはや無理だと直感的に悟ったのです。
「この状態が続くのは無理だ」
「治療が本格化すれば、自分の判断が正しいかどうかもわからなくなる」
こんなことで、と思われる方もおられるかもしれませんが、その電話をきっかけに、退任を決意しました。
孤独の本質とは、判断の責任を一人で引き受け続けること。それは経営者として当然の姿勢だと、これまで信じてきました。しかし、身体的にも精神的にも余力が削がれていく中で、その孤独そのものが経営の根幹を揺るがすリスクへと変わっていく。
私はそれを、身をもって知ることになったのです。
私が孤独と向き合う中で見えてきたもの
もう一度、ここまでの経験を振り返ってみたいと思います。
がんと向き合う中で私が直面したのは、それまで経験してきた経営上の孤独とは、まったく性質の異なるものでした。経営において「最終的な判断は自分がする」という覚悟は、私にとって信念に近いものでした。迷いがあっても選ぶのは自分。結果がどうであれ責任は引き受ける。それが経営者だと信じていました。
しかし、病気という未知の領域では、「何を判断すべきかさえ見えない」という状況が繰り返されました。治療内容を理解しきれず、選択肢の意味も把握できない。それでも「決めなければならない」という現実が目の前にある――この矛盾に、私は苦しみました。
例えば、セカンドオピニオンを受けたときのこと。診断内容には納得できたものの、病院を出た後、「妻に同席してもらえばよかった」と強く後悔したのを覚えています。一緒に説明を聞いて、一緒に考えるだけでも、自分では気づけなかった視点や判断の偏りに向き合えたかもしれません。
「決めるのは自分」でも、「相談してはいけない」わけではない。
その当たり前のようでいて、案外見落としがちな違いに、私はようやく気づきました。頼ることは、弱さではなく、判断の前提を広げる行為です。話すことで整理され、聞かれることで気づく。そうした過程を経てこそ、質の高い意思決定にたどり着ける――それは、経営においても、人生においても同じなのだと思います。
もうひとつ、大きな気づきがあります。
がんをきっかけに、私は孤独にも「良い孤独」と「悪い孤独」があると感じるようになりました。集中して物事に向き合える孤独は、むしろ創造性や判断力を高めてくれる「良い孤独」です。しかし、不安と混乱の中で、ただ一人で抱え込むだけの状態は、「悪い孤独」と言えるでしょう。それは、視野を狭め、判断を誤らせ、やがては周囲にも影を落とします。
そうした「悪い孤独」を避けるにはどうすればいいのか?
答えのひとつは、「話せる余地を、日常のなかに持つこと」だと私は思います。家族でも社員でも、専門家でも、あるいは同じ立場の経営者でも構いません。誰かと共有できる「場」や「関係性」があるかどうかで、その重圧の感じ方は大きく変わってきます。
そしてもうひとつ大切なのは、「孤独を個人の問題で終わらせないこと」です。経営者が病気になったとき、誰が何を判断し、どう会社を動かすのか。そうした「もしも」の備えがなければ、責任の集中が一気に組織の弱点に変わります。判断を独占せず、任せられる体制を持っておく。これは、がんに限らず、事故や突然のトラブルにも通じる「組織としての健全な備え」だと実感しました。
孤独は、経営者にとって避けられないものかもしれません。けれど、孤独との向き合い方は、選ぶことができる。がんという未知の事態に直面し、孤独と向き合うなかで、そう確信するに至りました。
経営者の孤独を“仕組み”で乗り越えるには
ここまで、がんをきっかけに私が直面した「経営者としての孤独」、そしてそこから得た気づきについてお話ししてきました。
では、もし同じように孤独と向き合うことになったとき、経営者として何ができるのか。私のように病気や事故で判断力が損なわれる瞬間が訪れても、事業が持続可能であり続けるために、何を整えておくべきか。
ここからは、少し視点を変えて「組織としての孤独への備え」について考えてみたいと思います。
経営判断における孤独を「個人の資質」ではなく、「構造の問題」として捉え直す。その視点こそが、経営リスクに備える第一歩だと、私は今では感じています。
1. 「任せること」を日常の構造に変える
経営者でなければ判断できない――。そう思っていた業務や決裁事項も、意識的に整理してみると、実は「任せられるもの」が見えてきます。例えば、定期的に意思決定の内容を洗い出し、「これは本当に社長でないと判断できないことか?」を棚卸ししておく。誰がどの判断を担うかの役割分担や優先順位を明確にし、信頼できる後継者や役員と共有しておくなど。こうした事前のすり合わせが、「いざという時」の判断の遅れや混乱を防ぐのです。
これは権限委譲の話にとどまりません。「孤独になりすぎない構造を、平時からつくっておく」こと。これが最大の目的です。
2. 「相談すること」を制度化する
判断の負荷を軽減するもうひとつの鍵は、「話せる場」の存在です。
私自身、退任後に複数の経営者と対話を重ねる中で、「話すだけで視野が広がる」ことを強く実感しました。孤独は目に見えません。だからこそ、「相談してもいい」「話してもいい」という風土をあらかじめ組織に組み込むことが必要です。
例えば、
- 社外のアドバイザーとの定例面談
- 経営者同士をつなぐ非公開のラウンドテーブル
- 将来の承継を見据えた1on1の実施
このような仕組みを日頃から備えておくだけでも、「ひとりで抱える」状態を回避できます。話せる環境があることは、経営判断の精度だけでなく、精神的な余白にも直結するのです。
3. 「退く自由」を整えておく
私自身ががんの治療中に強く感じたのは、「今、社長を辞める準備ができているのか?」という問いでした。判断力や体力が万全でなくなったとき、どれだけ冷静にバトンを渡せるか。その備えの有無が、組織の継続性を大きく左右します。
そのために必要なことは、
- 株式の保有構造や資産の整理
- 事業承継計画の策定
- 経営権と資産管理の分離
- 後継者や支援者との役割分担の明確化
といった、「辞めても回っていく仕組み」の設計です。
退任に向けた準備を進めるなかで、もうひとつ私が直面したのが、「経営から離れてもなお背負い続けなければならない責任」の存在でした。その代表的なものが、借入に対する個人保証です。私自身、退任時に重くのしかかったのがこの保証でした。たとえ治療中であっても、保証人である限り、経営から完全に手を引くことはできないという現実を突きつけられたのです。
個人保証の解除には時間と交渉が必要ですが、これもまた、早めに着手しておくべき「孤独の備え」のひとつといえるでしょう。
孤独は、経営者にとって避けられない現実かもしれません。しかし、「孤独のダメージを減らす仕組み」は、確かに存在します。それは、経営判断の精度を保つためだけでなく、組織を未来へとつなげるための、静かな戦略でもあるのです。
経営者の孤独を、経営の一部として捉える
経営者が孤独であることは、ある意味で当然のことかもしれません。
しかし、がんを経験し、私はそれを「避けられない運命」として受け入れるのではなく、「備えるべきリスク」として捉える視点を持つようになりました。
経営判断を一人で背負い続けることは、身体的にも精神的にも大きな負荷をもたらします。特に病気や事故といった予期せぬ出来事が起こったとき、その負荷は一気に現実の危機へと変わります。そしてその影響は、自分ひとりにとどまらず、会社全体、さらには家族や従業員の未来にも及ぶのです。
この記事では、自身の退任経験を通じて、以下のような気づきを共有してきました。
- 判断は一人で抱え込まなくてもいいということ
- 話せる関係性や仕組みが、孤独を緩和するということ
- 組織として「任せる構造」や「退く準備」を整えておくことが、経営を持続可能にする鍵になること
経営者がいつまでも一人で抱え込み続ける時代ではありません。逆に言えば、「誰と、どう備えるか」が、これからの経営の質を決める時代だとも言えるでしょう。
私は、がんという予期せぬ出来事をきっかけに、自らの限界と向き合い、孤独と対話し、そして退任という決断に至りました。そして今、経営から一歩離れた立場になったからこそ、見えるものがあります。それは、「孤独もまた、経営の一部として整え直せる」という視点です。
誰かに任せること。誰かと話せること。
その積み重ねが、経営の未来を守る力になる。
私は、今ならそう言い切れます。
経営者の孤独は避けられないものですが、それを経営リスクに変えないための備えは確実に存在します。
まずは明日から、「一人で抱えている判断」を一つでも誰かと共有してみてください。

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