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自社開発と産業観光を推進し、伝統産業の技術を広めていく
【株式会社能作 代表取締役社長 能作 千春氏】

目次

錫(スズ)が持つ柔らかい特性を逆手に取った“曲がる器”。平面からカゴの形に変化する「KAGO」シリーズをはじめ、世界初のスズ100%製テーブルウェアを生み出したのが、1916(大正5)年に富山県で創業した株式会社能作です。伝統産業である鋳物の技術を用いた革新的な製品は、海外でも高い評価を得ています。2023年、5代目社長に就任した能作千春氏は、産業観光の推進や組織改革に尽力。「伝統を守るためには革新を」と語る能作社長に、企業存続の秘訣を伺いました。

お話を聞いた方

能作 千春氏のうさく ちはる

株式会社 能作 代表取締役社長

富山県高岡市出身。1986年、能作家の長女として誕生。神戸学院大学を卒業後、2008年に神戸市内のアパレル関連会社で通販誌の編集に携わる。2011年に家業である株式会社能作に入社。現場の知識を身に付けるとともに受注業務に当たる。製造部物流課長などを経て、2017年の新社屋移転を機に産業観光部長として新規事業を立ち上げる。2018年に専務取締役に就任し、能作の“顔”として会社のPR活動に取り組む。2023年3月20日、代表取締役社長に就任。
https://www.nousaku.co.jp/

伝統産業の鋳物技術を生かし、革新的な自社製品を開発

創業は1916年、伝統産業である鋳物の街として400年超の歴史を誇る富山県・高岡にて、仏具や茶道具、花器などの製造に従事したことが始まりです。祖父・能作佳伸が1967年に有限会社ノーサクを設立した後も、下請けメーカーとして真摯にものづくりに取り組むことを大切にしてきました。4代目となる父・克治が入社したのは1984年のこと。母との結婚を機にこの世界に飛び込み、職人としてのキャリアを一から積み重ねていきました。

しかし、時代とともにライフスタイルが変化していく中、鋳物工芸品の需要は減少の一途をたどることに。危機感を抱いた父は、かねてから挑戦したいと考えていた自社製品の開発に取り組み、2002年に自社ブランド「能作」を立ち上げました。開発第一号は、真ちゅう製の洋風ハンドベル。しかし、なかなか売れず、消費者に最も近い店頭スタッフの意見を基に風鈴を開発したところ、発売月に3,000個を売り上げる大ヒット商品になりました。

社長に就任した父は、お客様の声に応える製品開発に注力することを決意。世界初となるスズ100%製の食器製造に乗り出し、スズの特性である“柔らかさ”を生かした曲がる「KAGO」シリーズを開発しましたが、鳴かず飛ばずの時期が続きました。転機となったのは、日本橋三越本店に初の直営店を出店した2009年。店頭デモンストレーションが大きな反響を集め、以降、スズ100%の「KAGO」シリーズは、当社の売り上げを大きく支える存在となりました。

産業観光を発展させ、伝統産業の担い手を育てる

当社は、産業観光にも注力しており、年間13万人の工場見学者が訪れています。そのきっかけは1990年頃の出来事でした。地元の女性から「息子と工場見学に行きたい」という要望を受けた父は、喜んで引き受けました。しかし、女性はお子さんに向けて「ちゃんと勉強しないと、将来こんな仕事をするのよ」と言ったのです。地域の人々が地場の伝統産業に誇りを持っていないことに気づいた父は、「このままでは次の担い手が育たない。伝統産業のすばらしさを伝えることは、自分たちの責務だ」と考え、産業観光に積極的に取り組むようになったそうです。

とはいえ、鋳物工場にはいわゆる3K(きつい、汚い、危険)のイメージがつきまとうものです。私自身、職人として生き生き働く父を尊敬しつつも、女性の自分が家業を継ぐことは想像できませんでした。父から「継げ」と言われることもなく、大学卒業後は神戸のアパレル会社に就職し、通販誌の編集者としてキャリアを積む道を選びました。

そんなある日、会社の先輩が「雑貨屋で素敵なものを見つけた」と、手にしていたのは父が開発したスズ製品で、驚くと同時に誇らしさも感じました。家業とのつながりを意識したこの瞬間から、「能作のものづくりを多くの人に広めたい」という思いが芽生え、社会人4年目の節目を迎えた2011年、父に入社したい意志を伝えたのです。入社後は、急増する受注に対応しながら、物流環境の整備もがむしゃらに進めました。2012年には、結婚を機に夫が職人として婿入りし、2児の出産も経験。その後、2017年の社屋移転に伴い、「見せる産業観光」を目指すことに。父やデザイナーとともに、新社屋の設計や工場のレイアウトを計画し、体験型の工房や、地元食材とスズ食器を楽しめるカフェも実現しました。

父や夫と違い、職人として経験を積むことができなかったため、「自分に何ができるのか」と悩んだ時期もありましたが、ようやく居場所が見つかったと思えるようになりました。その後、ブライダル事業・錫(スズ)婚式も立ち上げ、今に至ります。

伝統産業を守るために、革新を続けていく

私が社長となる覚悟を決めたのは、父が大病を患った2019年のことです。新たな産業観光や錫婚式の事業はスタートしたばかりで、歩みを止めるわけにはいきませんし、何より、従業員を不安にさせてはいけません。父が復帰するまでの1年間、育児に追われながらも必死で仕事をこなし、夫とも幾度となく話し合いました。そして、「私がこの会社を引っ張っていきたい」という結論にたどり着いたのです。

父は製品開発、夫は工場の取りまとめ、私は産業観光の推進とPRを担い、議論はしても、最後はお互いの力を信頼して任せる関係性が築かれていました。得意分野を生かす役割分担が自然にできたことが大きかったと感じます。だからこそ、夫は「職人を束ねることも、子育ても、安心して任せてほしい」と言ってくれましたし、父も「時代に合った経営をしてほしいから、千春に任せたい」と話してくれました。

2023年、父から経営のバトンを渡され、5代目社長に就任したとき、企業としての100年の歴史と、伝統産業における400年の歴史の重さに責任を感じました。しかし、プレッシャーよりも、「父が取り組んできたことを未来につなげていきたい」という思いが強くありました。父から受け継いだチャレンジングな精神をもとに、新たな挑戦を始めたのです。

当社は、父の代から“しない経営”を掲げ、「社員の自主性を育むために、社員教育もノルマを課すこともしない」「地域や他社と協働していくため、営業活動や競争はしない」という方針を貫いてきました。しかし、従業員数は200人を超え、県外や異業界から職人を目指して入社する方も増えています。多様な属性の仲間が生き生き働き、皆で同じ方向に向かっていけるよう、父の経営方針を再解釈し、企業理念の社内への浸透を図るインナー・ブランディングや働く環境の整備に着手しました。経営ビジョンの可視化や経営状況の開示に取り組み、全従業員の個性や志を紹介する図鑑も制作。自由参加型の勉強会や社内コンペティションなど、自己実現や成長を支える機会も提供し、より自主的に働ける環境を整えています。

私たちは、父が大切にしてきた「伝統産業を守るために、革新を続ける」という思いを確かに受け継ぎました。守りたいものを守り抜くためには、次々に新たな企画を打ち出さねばなりません。時代の変化を見据えて、求められる商品やサービスを提供すべく、2022年、海外に直営店を出店し、2024年にはスズ製ジュエリーのブランドの立ち上げにも挑戦しています。長寿経営の秘訣は何かと言えば、やはり役割分担と信頼関係の構築にあると感じます。今後も、会長として製品開発を担う父や現場を担う夫、そして従業員と力を合わせ、地域やパートナー企業とも協働しながら、高岡が誇る伝統産業の魅力を世界に発信し続けていきます。

[編集]株式会社ボルテックス コーポレートコミュニケーション部
[制作協力]株式会社東洋経済新報社

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