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意識共有の形成、「百貨店・進物・高級」路線からの脱却、海苔の不作に変革で挑む老舗の使命
【株式会社山本海苔店 代表取締役社長
山本 貴大 氏】

目次

日本橋の一等地に本店を構える山本海苔店は、江戸時代から続く老舗企業であり、高級海苔ブランドとして不動の品質と人気を誇ります。しかし消費者の購買行動の変化や海苔の歴史的不漁によって、業界全体が苦戦を強いられるようになりました。コロナ禍のさなかに社長に就任した山本貴大氏は、周囲の批判を浴び続けながらも大胆な変革を推進しています。長寿企業であり続ける条件や、再開発によって変わりゆく日本橋への思いをお聞きしました。

お話を聞いた方

山本 貴大 氏やまもと たかひろ

株式会社山本海苔店 代表取締役社長

1983年生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。東京三菱銀行(現三菱UFJ銀行)入行、法人営業に携わる。2008年に山本海苔店に入社。子会社の丸梅商貿(上海)において、おむすび屋「Omusubi Maruume」の立ち上げ、シンガポール髙島屋店、台北三越店の立ち上げを牽引。2016年専務取締役営業本部長、2017年専務取締役営業本部長兼管理本部長、2021年代表取締役社長就任。7代目山本德治郎襲名予定。

存続の最大危機は「今」だ

山本海苔店は嘉永2(1849)年、日本橋室町一丁目にて創業しました。いわゆるファミリーカンパニーであり、山本家代々の当主が初代山本德治郎の名を襲名しています。私も跡取りの自覚を持ちながら育ちました。175年もの長きにわたり暖のれん簾を掲げ続けているのですから、浮き沈みは少なからずあったかもしれません。しかし「企業存続の最大の危機はいつか」と問われれば、間違いなく「今」だと言っていいでしょう。

理由の一つが、中元・歳暮文化の衰退です。弊社は百貨店をメイン販路として、特に中元・歳暮期における進物としての高級品を主力としてきました。ロングセラーの「梅の花」は、その代表格です。かつては売り上げの8~9割を百貨店が占めていました。ところがバブル崩壊後、中元・歳暮市場規模は縮小の一途をたどり、主戦場である百貨店も勢いを失いました。いわゆる「デパ地下」の顔ぶれは時代とともに変化しています。常連だった砂糖屋が姿を消し、鰹かつお節ぶし屋、佃つくだ煮に屋も次第に数を減らし、「次に消えるのは海苔屋だ」という話も冗談に聞こえなくなりそうな状況です。

大胆な方向転換をしなければ立ち行かなくなるのは、目に見えていました。私は2015年に営業部の取締役に就任すると、中元・歳暮一辺倒のビジネスモデルを見直し、それまであまり扱ってこなかった贈答用と家庭用の中間に当たる手土産・プチギフト商品の拡大を進めました。しかし父親でもある先代の社長からは、この舵切りを強く反対されました。

間違っていることではないのですが、山本海苔店が今のプレステージ(威信・名声)を保てているのは、百貨店に出店しているからだと信じている人がまだ多く、手土産やプチギフトを百貨店以外の場所で売ることは山本海苔店のブランドに傷をつけるような、受け入れがたい展開と映ったのでしょう。

海苔業界全体の課題解決と
社会貢献を目指す

異端分子扱いされながらも、まずは社内の意識共有を図るため、経営理念を作りました。弊社にはそれまで経営理念がなかったのです。私一人で考えたのでは押し付けになってしまうため、社員全員で意見を出し合う形を取り、出来上がったのが「よりおいしい海苔を、より多くのお客様に楽しんでいただく」です。つまり、「百貨店」や「中元・歳暮」に縛られず、売り場も商品のラインナップにも多様性を持たせることが、みんなで考えた経営理念を実現することになります。

経営理念を掲げたことで、徐々にではありますが、脱中元・歳暮という考え方が受け入れられるようになりました。空港や高速道路のサービスエリア、テーマパークなどに販売の場を広げ、おつまみ海苔、具付き海苔といった手頃な価格帯のギフト商品を多数展開し、「コンビニなどで売っている『海苔のはさみ焼き*1』を作っている会社」として、若い世代にも山本海苔店を知ってもらえる機会が増えました。
* 1 カンロとの共同開発商品で、2002 年より販売。

ところが海苔業界は、さらなる逆境に立たされます。歴史的ともいえる不漁です。海苔養殖技術の発展のおかげで、年間110億枚ほど採れた年もありましたが、ここ10年は60億枚程度しか採れなくなっています。日本の海苔消費量は約80億枚ですから、希少化、嗜好品化が進む一方です。私は、海苔の生産と供給の安定のためにやれることを模索しました。

海苔業界では製販分離が敷かれているため、弊社が生産に直接的に関わることはできませんが、1次加工*2には参入できることがわかりました。そこで、SENKAIフーズという1次加工会社を九州に設立しました。さらに、海外事業を得意とする髙岡屋という海苔会社を子会社化しました。
* 2 原料の特徴や性質を変えずに洗浄やカット、殺菌などを行う加工。いわゆる下ごしらえ。

海苔は、いくつもの等級に分けられています。弊社は等級の高い海苔のみを扱ってきたため、他の等級の製造・販売のノウハウがありませんでしたが、1次加工の現場では等級の高い海苔も低い海苔も抱えることになります。髙岡屋のノウハウが加わったことで、1次加工の生産性向上とともに、すべての等級の海苔を商品化・販売できるようになりました。

長寿企業が大切にする
「自然とのつながり」

こうした取り組みは、まだ軌道に乗ったとは言えません。冒頭で「企業存続の最大の危機は今だ」という話をしましたが、昨年ついに海苔収穫量が約48億枚まで落ち込み、まさに今、いよいよ深刻な海苔不足状態に突入しています。1年先のこともまったく読めない状況ですが、1つ救いがあるとすれば、おそらく過去にも海苔の大不作の時代があったはずで、弊社がそれを乗り越えてきたという事実です。

長寿企業の多くに、「自然とつながっている」という特徴があると思います。それは、人知の及ばない自然界の法則に左右される商売では、自然に身を任せるしかない局面が必ずあり、「祈り」のようなものを大事にしているからだろうと考えています。そういう私も、祈りを大事にしている一人です。

とはいえ、これからの100年を祈りや神頼みだけで乗り切ることはできません。業界の先行きが不透明な中、経営の安定は大きな課題です。例えば、バブル期も含めこれまで弊社は不動産戦略を講じたことがありませんでしたが、再開発を機に、本業の下支えとして不動産事業を立てるのは有効な手段だと考えています。

戦争、災害、不況など数々の苦境を乗り越えられたのは、弊社が日本橋という街に本店を構えたことと無関係ではありません。街全体が並々ならぬ連帯感で結ばれているのを、私も幼い頃から肌で感じてきました。関東大震災では本店が全焼しましたが、2週間で商売を再開したそうです。周囲の支援や協力がたくさんあったであろうことは、容易に想像がつきます。その本店も日本橋の再開発によって取り壊しが決まっています。残念との声もいただきますが、昔の日本橋の雰囲気を復活させようという大プロジェクトですから、むしろ大きな期待を持っています。

今も、価値観の対立を恐れず改革は進めています。SNSなどで海苔の魅力やおすすめレシピを紹介すれば、社内から「山本海苔の名声を落とすのか」と責められることもたびたびあります。しかしすべては、若者や海外のお客様など、これまで弊社の海苔に触れたことがない人にも届くブランドになりたい、おいしい海苔の味をこれからの100年も伝え続けたいという思いから生まれた取り組みです。本当に結果が出るのはこの先100年後のことですから、批判を恐れず挑戦を続けるのが、老舗の使命だと思っています。

[編集]株式会社ボルテックス コーポレートコミュニケーション部
[制作協力]株式会社東洋経済新報社

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