第6回
石原都政開始 ~「都市づくりビジョン」環状メガロポリス構造

図1

©Hiroo Ichikawa

 いよいよ20世紀も終わりに近づいた99年4月、石原慎太郎氏が東京都知事に就任します。
石原氏が都知事になったことで、それまで東京都があまり主張していなかったことを、彼のパワーもあって徹底的に言い始めます。
まず「首都移転反対」です。これは90年頃から首都移転の話が動いていて、国が水面下で進めていたわけですが、いよいよ99年になってどこに移すか決定する時期になります。
このタイミングで石原氏が登場して、はっきり“NOと言え”と言ったわけです。
あと有名な規制として、環境規制である「ディーゼル車の排ガス規制」があります。
特に就任1期目には凄まじいレベルで多くの政策を挙げています。結構いまに繋がっていて、私もこのうち4つほどの政策に関わっていましたが、とにかく今現在起きていることは、石原氏が当時言っていたことであることが少なくありません。
ただし、このなかで「横田基地の民間利用」は全く実現していません。その他の多くのものは実現していて、今人気のある「東京マラソン」なども石原氏が始めたものです。「東京オリンピック」ももう間近ですが、これを言い始めたのも彼です。
あと残っているのは「カジノ構想」です。カジノができれば、彼が言ったことはほぼ全て実現することになります。
ですから就任1期目に日本の復活のために石原氏が言ったことは、いま時を超え、10年20年の年月を経て動き始めている状況です。
当時ここでもう一度景気が戻ってきて、これは“IT景気”と呼ばれています。


図2

©Hiroo Ichikawa

 さらに2001年6月、いよいよ小泉内閣となって、国土政策が「国土の均衡ある発展」というフレーズから「個性ある地域の発展」に移ります。
端的にポイントを言えば、地方にお金を渡して手厚くする方法では効果が無いというのが都市部の意見ということです。
当時自民党は選挙のたびに都市部で民主党に負けていました。自民党というのは地方を基盤にしている政党ですから、これまでは地方のためになることさえ言っていれば票が入ってきました。
ところがさすがに毎回選挙に負け始めたので、自民党も都市部にシフトを移し始めます。それが小渕内閣の時だったわけです。
それを小泉内閣はさらに進め、日本が危ない中でその危ないことに対して様々な手を尽くします。ですから政策的にはやや過激な部分もあって、やり過ぎた部分もありましたが、小泉氏は当時非常に人気があって、ある意味何をしても大丈夫でした。
金科玉条である「国土の均衡ある発展」という部分に対して、その言葉は消せませんが、「個性ある地域の発展」と「知恵と工夫の競争による活性化」という新フレーズを基本方針として定めます(「骨太の方針」)。
これを実行したグループの象徴が竹中平蔵氏で、彼の評価は両極端に分かれています。
従来とは大きく異なり競争原理を持ち込んだために、その流れにうまく乗った側は非常に高く評価しているし、それによってやられた側はあまり良くは思っていないわけです。
しかし少なくともこれによって日本は変わります。
「個性ある地域の発展」のため、これまで日本には無かった競争原理を取り入れることになったのです。


図3

©Hiroo Ichikawa

 ちょうど同じ頃、2001年10月、東京都が新しく「都市づくりビジョン」を制定します。
そのなかの目玉である「環状メガロポリス構造」ですが、これは私も作成のコアメンバーでしたが、すでに分散政策では無理があって行き詰まっていました。
業務核都市の失敗、国は失敗したとは言いませんが、業務核都市はうまく機能していないので、これからますます都心に集まってくることが予測されるなか、私たちが考えたのが「センター・コア」というものです。
これまで都心といえば都心3区でしたが、これからはもっと都心に人や機能を入れようと、都心9区を「センター・コア」と名付けました。
だいたいこの場所は環状6号線の内側で、ここがもう都心、これが東京の都心機能ということにしたのです。
あと国際競争力強化については湾岸部でどんどん進めていきます。
この2つを目玉にして、3本の環状道路を造っていけば良いわけです。
2001年当時は環状路が出来上がっていませんでしたが、今ではほとんど出来上がっています。
あと2~3年ですべて出来上がる予定ですが、これが新しい姿になってきます。
まさに都心回帰が起きるだろうという予測と、これからも東京は受け入れなくてはならないという状況が予測された中での計画だったというわけです。


首都圏メガロポリス構想
首都圏メガロポリス構想

(東京都資料2001+2009)

 だいたい計画というものは策定すると外れますが、これは今そのままになっていて、図は8年後の2009年の東京都の行政版ですが、さらに2016年に2040年のビジョンをつくった東京都のプランもほぼ同じです。
つまり、センター・コアに集まっている状況はそのまま現在進行形です。
ですから環状道路が出来上がってくると、これがこれからの東京の新しい姿になることはほぼ間違いありません。


新しい拠点群の概念
新しい拠点群の概念

(東京都資料)

 センター・コアの中はすでに多くの拠点があって、都心とか副都心と分けて呼ぶのはおかしいということで、このとき私たちが副都心という名前を行政版から消しました。
ですからいま行政的には副都心という言葉はありません。
ただ東京メトロが「副都心線」と名前を付けてしまったので、ここに唯一残っています。


環状メガロポリス構造の概念図
環状メガロポリス構造の概念図

(2001「東京の新しい都市づくりビジョン」)

 東京都市圏の都市構造的には東京を中心に東西南北にコアができます。
北は埼玉で、西は立川・八王子で、南が川崎・みなとみらいで、東が千葉・幕張です。
大体このような都市構造になっています。
これは非常に珍しい計画でして、東京都が作成した計画で周辺の県の絵を描いてしまった珍しいケースです。
何らクレームも寄せられていないということで、これがそのままの形で踏襲されています。

プロフィール

市川宏雄(いちかわ ひろお)

市川宏雄(いちかわ ひろお)
明治大学名誉教授
帝京大学特任教授、中部大学客員教授

 1947年東京に生まれ育つ。早稲田大学理工学部建築学科、同修士課程、博士課程を経て、カナダ政府留学生として、ウォータールー大学大学院博士課程(専門は都市地域計画)を修了(Ph.D.)。一級建築士でもある。
 ODAのシンクタンク (財)国際開発センターなどを経て、富士総合研究所主席研究員の後、1997年明治大学政治経済学部教授(都市政策)。都市計画出身でありながら、政治学科で都市政策の講座を担当するという、日本では珍しい学際分野の実践者。2004年から2018年3月まで明治大学公共政策大学院ガバナンス研究科長。2008年から2016年まで明治大学専門職大学院長、明治大学危機管理研究センター所長も務める。現在、日本自治体危機管理学会会長、森記念財団業務担当理事、町田市・未来づくり研究所所長、日本危機管理士機構理事長等、要職多数。Program Committee Member of Innovative City Forum, Steering Board 海外ではCheering Board Member of Future of Urban Development and Services Committee, World Economic Forum(ダボス会議)。

専門とする政策テーマ:
大都市政策(都心、都市圏)、次世代構想、災害と危機管理、世界都市ランキング、テレワーク