第1回
「第4次首都圏基本計画」業務核都市とは?

 今回は、バブル期以来今日に至るまでの都市政策の変遷について解説していきます。
これを聞いてもらえれば、現在東京で起こっている事象をよりご理解頂けると思います。
過去25年間、経済の衰退からその後の発展という流れのなかで様々な出来事がありましたが、それに対して都市政策、都市計画はどう対応してきたのか。これについても適宜ご説明していきたいと思います。

景気動向と都市政策の変遷
景気動向と都市政策の変遷

©Hiroo Ichikawa

 まず都市の開発というものは景気動向とリンクして、過去様々なことが起こっています。
そもそも80年代からどのような変遷を辿ってきたかという話から入っていきますが、東京の場合において、特に重要なものに「首都圏基本計画」があります。現在まで5回策定されていますが、この首都圏計画の他に、近畿圏計画、中部圏計画と、日本には3つの主要な大都市圏計画があります。
これらのなかで、東京では「第4次首都圏基本計画」、つまり基本計画の中で4番目に該当しますが、ちょうどバブル経済の真っ最中に出されました。
その前に円高不況がありましたが、バブル期の80年代後半に急激に日本の景気を押し上げていきます。
もっとも景気だけではなく、この時期に急激に東京一極集中も加速しています。
今現在も一極集中は進んでいるわけですが、これまで分散政策で抑えてきたものが、ついにこの頃から東京への流れが加速したわけです。
それに対し、第4次首都圏計画では、東京都区部への一極依存構造を是正するため「業務核都市」を打ち出しました。
東京郊外のいくつかの都市を業務核都市として育成し、そこで会社も含めて様々な産業の核をつくれば、都心には流れ込まないだろうということで業務核都市を決めたのです。

 その流れの1つとして有名なのは「さいたま新都心」で、これは1988年に閣議決定して、まず民間が移る前に政府機能が移るべきということで、政府の機能の一部を現在のさいたま市に移したものです。
様々な政府機関がありますが、移転の対象となったのは「ブロック機関」と呼ばれて、実は政府機能本体ではありません。例えば、旧通産省であれば東京通産局とか、エリアごとに支局があったわけです。
そうしたなかで関東ブロック関係の機関は東京(千代田区大手町)にありましたが、これを東京から外そうとして3つの場所、すなわち埼玉のさいたま新都心、横浜のみなとみらい、そして千葉の3カ所に移しました。
このなかで一番のメインが「さいたま新都心」だったのです。
時を同じくして88年に「多極分散型国土形成促進法」が制定されます。多極分散型というのは、多くの局を日本国内に分散して作ることを意味していて、ここで局というのは実は東京のことです。
つまり、東京のような都市を日本全体に割り振ろうとしました。これが有名な「第4次全国総合開発計画」で、バブル経済で急激に東京への一極集中が進むなか、これを何とかしたいということで出されたものです。
日本全体に多局をつくることと、東京周辺では業務核をつくって中心部から外に出すことを首都圏基本計画で決めたわけです。

首都圏における業務核都市(1986)

(出典)市川宏雄『しなやかな都市東京: 比較都市空間学入門』

 こうしたなかで、「業務核都市」とは一体どの都市を指していたのでしょうか。
当時は、川崎・横浜、立川・八王子、浦和・大宮、筑波・土浦、それから千葉・幕張などが挙げられていました。
ここに新しい核をつくることで抑え込めば、都心には入って来ないだろうと考えたのです。

業務核都市の施設配置概念

出典:第4次首都圏基本計画(1986年)より著者作成

 では「業務核都市」はどのような構造を持っていたのでしょうか。
業務核と決まった都市には、「中核的施設」と「業務施設集積地区」という2つの要素があります。
「中核的施設」というのは、業務施設のなかの特に集積地区を整備するために必要な施設のことです。通常は建物をつくりますが、情報処理施設や、展示又は見本市施設、会議場、交通施設など、人が集まる核をつくる作業を行います。
そして、その周辺一体に事務所などの「業務施設」が集まれば良いわけです。この場合の業務施設には政府機関ももちろんありますが、東京都心に集まっている民間会社の本社を移すことが最大のポイントです。いくら政府機関を移してもそこで働く人はあくまで少数ですから、東京都心に集まっている民間会社の人々をここに移さなければなりません。
これが有名な「業務核都市」で、今でもその名前が残っていますが、この業務核都市によって東京という都市への集中を抑えるということを目論んだのです。

プロフィール

市川宏雄(いちかわ ひろお)

市川宏雄(いちかわ ひろお)
明治大学名誉教授
帝京大学特任教授、中部大学客員教授

 1947年東京に生まれ育つ。早稲田大学理工学部建築学科、同修士課程、博士課程を経て、カナダ政府留学生として、ウォータールー大学大学院博士課程(専門は都市地域計画)を修了(Ph.D.)。一級建築士でもある。
 ODAのシンクタンク (財)国際開発センターなどを経て、富士総合研究所主席研究員の後、1997年明治大学政治経済学部教授(都市政策)。都市計画出身でありながら、政治学科で都市政策の講座を担当するという、日本では珍しい学際分野の実践者。2004年から2018年3月まで明治大学公共政策大学院ガバナンス研究科長。2008年から2016年まで明治大学専門職大学院長、明治大学危機管理研究センター所長も務める。現在、日本自治体危機管理学会会長、森記念財団業務担当理事、町田市・未来づくり研究所所長、日本危機管理士機構理事長等、要職多数。Program Committee Member of Innovative City Forum, Steering Board 海外ではCheering Board Member of Future of Urban Development and Services Committee, World Economic Forum(ダボス会議)。

専門とする政策テーマ:
大都市政策(都心、都市圏)、次世代構想、災害と危機管理、世界都市ランキング、テレワーク